2018年6月18日月曜日

最終兵器の聖典 神々の誕生2

  『伊未自由来記』という伝聞に隠岐の西島に最初に住んだのは木葉比等で男女2人して火を作る道具と釣りの道具を持って毛皮(暖のため)と木の葉(防水のため?)を纏って勿論島なのだから船に乗ってやってきて、後に刺青した海人がきたといわれている。
『古事記』の「妣国根之堅州国」、『出雲風土記』の「嶋根郡郷捌里廿四餘戸壹 驛家壹・・・方結郷 郡家正東廿里八十歩 須佐能袁命御子 國忍別命詔 吾敷坐地者國形宜者 故云方結」(松江市)と隠岐の島の対岸島根県が伊弉冉の国と記述し、宮尾遺跡(隠岐)と同系の土器が板屋Ⅲ遺跡(飯南町志津見)や佐太講貝塚(松江市)に見つかり土器の状況も裏付ける。
すなわち、対馬海流の400Km上流から木葉比等が船でやってきて、子孫伊弉諾が根之堅州(嶋根郡方結郷?)の伊弉冉とともに島後に船着き場を作って石矛で『古事記』の「興而生子水蛭子 此子者入葦船而流去 次生淡島」と大国(淡国)を建国し、蛭子が初代の王となったことが想定でき「大日孁貴」に滅ぼされ海人の「木の葉船」と呼ばれる葦船で水葬された。
『古今和歌集 藤原興風』に「白浪に 秋の木の葉の 浮かべるを 海人の流せる 舟かとぞ見る」と歌い、海人が漕ぐのではなく白浪だから海に流した木の葉舟での水葬とお盆の時期に流す精霊流しの木の葉をだぶらせ平安時代でも常識だった。
『日本書紀』で「名曰鹿葦津姫 亦名神吾田津姫 亦名木花之開耶姫」、『古事記』で「白之大山津見神之女名神阿多都比売亦名謂木花之佐久夜毘売」と初めて天降った地で娶った姫の説話で、「木の葉」と「木花」で語幹がが類似し、西島から島後の木花之開耶姫の家に婿入りした話に「鹿葦津姫」を上書きしたことが考えられる。
ここで、『日本書紀』の最初の神が生まれる時の文章が「時天地之中生一物状如葦牙便化爲神 號國常立尊」で国常立の生まれた時の説明だが、どうして国常立の由来なのかが今一つ理解できない。
しかし、それに対して、『先代旧事本紀』では「鶏卵子溟涬含牙其後清氣漸登薄靡為天浮濁重沈」と現代的に言えば小さな鶏卵すなわちゼリーのようで卵のように小さな領域の海から芽吹き霧が立ち上り重く濁った塊は沈んで大地となったと状況を説明して「生一神號日天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊」と狭霧の名前とよく符合する。
そして、鶏卵の牙は『日本書紀』の「生一物状如葦牙」と符合、その葦牙に良く似合う神が存在し「可美葦牙彦舅」がそれで、『先代旧事本紀』では「一代倶生天神 天御中主尊 可美葦牙彦舅尊」と『古事記』の「天御中主」と同等に扱われている。
すなわち、『先代旧事本紀』は「天御中主」の王朝と可美葦牙彦舅」の王朝を征服した「狭霧」の王朝だと宣言しているのであり、「天御中主」は巨勢氏の豊国(豊御毛沼の)王朝だが、可美葦牙彦舅」はどのような王朝を背景にした神なのだろうか。

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