『日本書紀』も導入部に不可欠だった「葦牙」なのだから常立神もこの「葦牙」から派生した神と考えるのが順当で、日本列島で資料として残る最古の神が「葦牙」と想定出来る。
すなわち、「葦牙」の王朝を「狭霧」や「常立」が征服したことを意味し、『古事記』に「天地初発之時 於高天原成神名 天之御中主神」、『先代旧事本紀』では「天先成而地後定然後於高天原化」と高天原が火山島の噴出のように自然に発生して最初の神が産まれるのである。
『古事記』では伊耶那美命に「阿那迩夜志愛上袁登古袁」と伊弉諾に対して枕詞を使わないが、『日本書紀』は「遇可美少男焉・・・遇可美少女」、『先代旧事本紀』は「伊弉冉尊先唱曰喜哉遇可美少男焉」と言う。
共に「可美」で物部氏の祖も「弟宇摩志麻治命亦去味間見命 亦云可美真手命」、「號曰櫛玉饒速日命 是娶吾妹三炊屋媛 遂有兒息 名曰可美眞手命」と可美は我々が言う「うまし」が『日本書紀』に「内彦火火出見尊於篭中沈之干海 即自然有可怜小汀 可怜 此云干麻師」・「可怜」と記述しどちらかと言えば「可美」は地名を思わせる。
すなわち、日本という国はもともと「可美」国と呼ばれ、「可美葦牙彦舅」という神が「高天原」で建国したが「天御中主」や「狭霧尊」を先祖神とする国を経て、『日本書紀』を完成させた「国常立」神を先祖神とする『日本書紀』を完成させた国にとってかわられたことを意味する。
史書から消し去られた可美国は常立を祀る人々が建国する以前に伊弉冉の母国の根国を含む人々の国であることは明らかで、素戔嗚が天降った時に存在した宮主を配下に持つ出雲国(出雲郡出雲郷)、八岐大蛇の高志国(神門郡古志郷?板屋Ⅲ遺跡)のある、神産み・国産み以前から続いた国だとわかる。
なお、八岐は尾が8ではなく壱岐・隠岐と国のことで、『山海經』に「蛇號為魚」・「左耳有蛇」・「珥兩青蛇」と蛇は細長い物を呼び大蛇は大きな耳飾りを身に纏う部族かと思われる。
『山海經
海外東經』に「・・・一曰在君子國北 朝陽之谷神曰天吳是為水伯 在北兩水間 其為獸也八首人面八足八尾背青黃」とまさに『古事記』の「彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾」と共に八岐大蛇と思われる記述があり、漢代には怪物と感じる漢代常識と違う感性の表現が残っていて、漢代と同じ感性の6・7世紀の日本人が存在したということだ。
『山海經
海外南經』に「有神人二八・・・一曰在二八神東」と28の神の地域がありまさしく神国で、君子国の北の朝陽は8の神が剣を持って1つの国を治めていた程度の事、史書作成時に伝説の神の大の地の蛇の神「おろち」、「ろ」が蛇その物だが、漢字を知った時「大蛇」と当て、中国では「ろの」神→「ろん」神で龍に文字を当てても不思議ではない。
※『出雲風土記』の「嶋根郡郷捌里廿四餘戸」と『山海經
海外南經』の「二八神東」から1国30家程度の郷を神話時代は国と呼んだことが解る。
私が神話を現実的に読んで理解しているのに対し、非現実的な文章を書く神話は信用できないので絵空事と無視して、その代わりにどこにも書いていない、文化は全て中国からという信仰から、現在一部族も中国や朝鮮に存在しない日本人を信じるかを問えば、答えは常識的に考えれば神話を信じると思う。
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