2018年6月22日金曜日

最終兵器の聖典 神々の国1

 『日本書紀』の神産みはその後、「泥土煮尊 沙土煮尊 (角杙神 妹活杙) 大戸之道尊 大苫邊尊 面足尊 惶根尊 伊弉諾尊 伊弉冊尊」と3書順番や亦の名に違いがあるがほぼ同じで、伊弉冊が産んだことを惶根が、それを大苫邊、また更に沙土煮が国産みしたことにして豐斟渟(豊雲上野・豊國主)・御中主・国常立が国産みさせたことにした。
すると、史書で国産みした人々はいつどこからやってきたのか考えると、概ね内容が同じなのだから3書同じ人々で、産んだ国もほぼ共通なのだから、大八島を産む前に国産みしたと考えられ、土器分布を考えると、轟B式土器が山陰以西の西日本に分布しており、アカホヤによってやってきた人々の可能性がある。
もちろん、轟B式土器は朝鮮半島では南部の海岸にしか出土せず、土器の連続性もないので中国・朝鮮半島方面からの人々ではなく、東日本にも出土しないので、三内丸山や火炎土器の仲間でもない。
ここで、『出雲風土記』の「志羅紀乃三埼矣・・・北門佐伎之國矣・・・北門良波乃國矣・・・高志之都都乃三埼矣・・・三身之綱打挂而」と大国は島を船に見立て綱で船を引き寄せて杭でとめるように国引きで建国していて、惶根の亦の名が吾屋橿城と天の八、大苫邊は大国の門、八束水臣津野は八の津と名前に関係性があり、大穴牟遅は八上比売を娶っている。
もちろん、国引きの最初の説話は隠岐の島のどこか(中之島?)で船を操って島前の3島を治めた話が大もとで、見えない国を引き寄せる荒唐無稽な説話を最初に造ることは考えられず、もっと具体的・現実的な説話で、後の『出雲風土記』を書いた人々は元の説話を知った上での説話だということを理解している。
「三身之綱」は『山海經』に記述される「三身国」と無関係とは思えず、国引きの時は既に「三身国」が存在したようで、『伊未自由来記』の「木葉比等」は西千里の地域からやってきたと述べられるが、西島の西は六合と呼ばれた玄界灘の地域で『山海經 海外南經』には「地之所載,六合之閒,四海之内」と黄海の中に含められる。
『山海經 海内東經』に「蓋國在鉅燕南倭北」と『遼史』に「渤海改爲蓋州 又改辰州 以辰韓得名」と渤海・遼東半島・朝鮮にある蓋国の南に倭があるとやはり六合を示している。
そして、「六合」は『日本書紀』にも「天照大日孁尊此子光華明彩照徹於六合之内」と天照大神が支配している地域と記述している。
さらに、「三身国」は『山海經 海外西經』・『山海經大荒南經』・『山海經海内經』に記述され、黄海・日本海・太平洋に面した国で、『山海經海内經』に「帝俊生三身 三身生義均・・・是始為國 禹鯀是始布土 均定九州」と「三身国」は九州とし、「夏朝」建国以前の話しである。
ここで、三身は体が3つの化け物の国ではなく、『古事記』の「生筑紫島 此島亦 身一而有面四 毎面有名 筑紫国謂白日別 豊国謂豊日別 肥国謂建日向日豊久士比泥別 熊曽国謂建日別」と記述される「白・豊・建」の3国が連合した日国を「三身国」と記述した。

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