前回で2代ずれてるって言っちゃったけど、なんかあかしがあるのって言われそうだから調べちゃった。
まず、船王とゆうひとの墓にいろいろ書いてあって、この人ビダツ天皇(572~585年)のときに生まれて641年のジョメイ天皇(アスカ天皇)のとき死んだの?ジョメイ天皇ってオカモト天皇のはずだけど、しかもこの文は668年に書いてあるんだよおっかしい、もしかしてジョメイ天皇がスイコ天皇?、それにつけ加えて、56~69歳で死んだようだけどそのあと28年も奥さんが生きておったそうだけど、なんでかヨウメイ天皇は小さい時だし短いからふれてないのかなぁ、でもこの時代はみんなナガイキで若い奥さんをもらっていたんだねぇ。
日本書紀をつくったトネリ親王(735年死亡)はジュンニン天皇(733年生)の父で、テンム天皇(686年死亡で父ジョメイ天皇は641年死亡)の子で偉い人なのだけど、ジュンニン天皇が生まれたのが58歳、本人もテンム天皇40歳以上の生まれかなぁとおもえる。
ジュンニン天皇の2代うしろのコウニン天皇は709年生まれで、父はシキ皇子でテンチ天皇の子でテンチ天皇が671年に死んでいるのでシキ皇子は少なくとも50代の子がコウニン天皇だとおもうんだ。
フジワラフヒトも見てみると、フヒトはフジワラカマタリが46歳のとき659年生まれで不比等の最高齢の子が41歳に生まれているけど、なんか、みんな現代みたいにコウレイシュッサンだよねぇ。
このころは50歳まで生きてりゃオンノジの時代で、さらに暗殺も多くてちょっと考えられないよね。
そして、692年に671年の年で死んだテンチ天皇のためにカクムソウがつくったホトケ様を20年以上ほってあったので「上送(ジョウソウ)」させているんだけど、どうして20年も九州に?、テンチ天皇って滋賀県にいたよね、九州に放っておいたからゴリヤクが無くって死んじゃったのかなぁ、それとも死んじゃったから九州に持ってちゃったのぉ?、なんでぇ?。
ジョウソウって坊さんも送っているからすぐに送っているんだよ、法要のためだったら九州にテンチ天皇をマツっているから、九州にあるんだったら九州ですりゃいいんじゃんねぇ?、そうじゃなくってテンチ天皇が病気だもんで、お友達のカクムソウさんがホトケさんをつくって坊さんと一緒に滋賀県に送ったんとちゃいますかぁ?。
さらに、フジワラの宮に都をうつしているんだけど、続日本紀というモンム天皇から書いてある歴史書があるんだけど704年にフジワラの宮にうつしたと書いてあるんだ??、また、え・えぇ・えぇどうゆうことぉ!だよね。
古事記のマエセツを読むとゲンメイ天皇が王様の家柄の初代になった中国の王様より立派だって言ってるだよね、初代の王様になったから古事記をテイシュツしますって、713年にテイシュツするって書いてるんだよね。
でぇ、ジトウ天皇は天皇なのに子分のジトウ天皇は天皇の位を皇太子におゆずりしますって、おっかしいよねぇ、皇太子って孫なんだよね。
ようは、ゲンメイ天皇はモンム天皇のアトを受け継いだけどまだ本当の王様じゃなくって、713年子分にナリサガったジトウ天皇から本当は奪っちゃったんじゃない。
701年には2つの王のイエガラがあって、モンム天皇は実力は天皇だったんで、タイホウとゆう年号をはじめたり、中国に日本ってゆう国をはじめたよって認めさせたりしたんだけど、天皇のシルシが手元になっくってセイシキな天皇じゃなかったってゆうこと。
まったまた、学校で習ったのとちがうよぉってコエがここまでひびいてきそぉ。
0 件のコメント:
コメントを投稿