2017年2月16日木曜日

最終兵器のミサ 『新唐書』は間違いだらけ?

前前回は新唐書は間違っていないと言っちゃったけど、きっと突っ込みがでるにきまっていて、それは、天皇の名前が違うやら、親子関係がちがうなんてね。
でも、天皇の名前は日本書紀も違うかもしれないから名前はずっとあとから説明するけど、親子関係はたしかにおかしぃよね。
おかぃところを見てみると、キンメイの孫スイコ()、コウトクの子アマトヨタカラ(兄弟)、テンチの子テンム(兄弟)、テンムの子ソウジ()、モンムの子アヨウ(母または兄弟)、アヨウの子ショウム(甥またはまご)だ。
中国はテンチはよく知っていて、というのは、日本に来たカクムソウという中国のヤクニンと親密にあっていて病気が治るように祈って仏像まで送っているんだから知らないはずがない。
日本書紀は人んちの本を使っているんだから、まだみんなに言っていないけど考え直さなきゃいけないんだなぁ。(じつは考え直すと親子でよいみたいで詳しくは何回か後のミサで)
すると、中国は女帝のとこだけ間違えているんだ、ンッ、フツウの国はアトトリムスコがいるのに親や姉妹につがせるなんてないよね、アトトリムスコに継がせてまわりの人たちが助ければいいじゃんってゆうとおもうし、世の中には天皇を辞めないでセッショウというコトバをきくけど、そういうやり方があるじゃんて中国は信じ込んじゃう。
まちがっちゃうにはちゃんとワケがあるはずで、日本書紀はどうやらイエガラがかわっていてそれを隠したがっているようだし、中国はなんも嘘をつくリユウがないけど、自分たちが知らないとこがあるから日本に聞くけど、日本人は日本書紀の内容をこたえるはずだよねぇ、日本書紀がまだないときは中国の資料に日本人のはなしをきくけど、ものすごくうたがっていると書いているんだ。
ふむふむ、っと、日本書紀とちがうとこは中国のシリョウじゃん、そうすと、「アマトヨタカラ」と名前を知っているってゆうことは中国の王様と会っているからホンミョウを書いたんじゃないの、中国の王様と日本の王様が会ったのは665年だけなんだ?、またまたオカシなことになってきたぞぉ。
じつは、このときの天皇の名が誰も言わないけどわかっていて、野中寺ていう大阪にある寺の仏さんに書いてあって、チュウグウ天皇っていって、666年にヤマイが治るように仏さんをつくったとかいてあるし、たしかにテンチ天皇はこのときセッショウと書いて天皇の代理で天皇が即位するまえはコウソボ(天皇の母だけど前の天皇の奥さんじゃない)が天皇をやっていたとかいてあるし、テンム天皇のときの680年にチュウグウの病が治らないので薬師寺をタてたよとかいて、チュウグウはダジョウ天皇(引退した天皇)だと書いてある???。
テンム天皇はわかんないけど、テンチ天皇は46歳で671年に死んでるけど母が8年たってもまだ生きていて86歳でまだ死んでない???。
テンチ天皇の母って661年に死んだはず、ンッン~。
そうだ、偉い先生方とおんなじでテキトウに作ったことにしておこうかって、それはイケナイよね、だって日本書紀よりまえに作られたのが日本書紀に合わないからまちがいなんていえないよねぇ。
じゃあ、661年に死んだのはテンチ天皇の母じゃなかったちゅうこと、じゃっだれ?、おっ・おっつぉろしい話。

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