2026年10月2日金曜日

最終兵器の目 新しい真実の古代 〝もう一人の神功皇后″3

  〝日本独自の元号″の存在を裏づける記録もある。『二中歴』には、継体年号(517年から)以前にも元号が存在したとある。また『日本書紀』にも、景行天皇が改元したとの逸話が残る。これらの証言は日本に、記録されていない〝独自の元号体系″が存在したことを示している。外交儀礼で、相手国の元号を用いるのは、古代でも一般的な手法。『新唐書』には、白雉や大宝の元号が記されている。

すなわち、七支刀の銘文は「百済が、当時の日本の元号〝泰■″に合わせて、外交的に日付を刻んだ」そう考えるのが、最も自然だろう。『後漢書』は南宋朝の頃、「邪馬壹国」を「邪馬台国」に変えたが、この「台」が「泰」を意味したかもしれない。

ここで、再び神功皇后へと視線を戻そう。記紀では、彼女は品陀和気(応神天皇)の母とされている。一方、『古事記』には、品陀和気が394年 甲午年 九月九日に崩御したとある。372年に七支刀を受け取った後、20年余りの後に品陀和気が崩御するということは、この372年当時、氣長足姫は、まだ十分に政を執れる老女王だったと見ていい。321年が氣長足姫の生まれた年と考えれば、65歳まで生きることは可能。

そう考えると七支刀は、実在の東征した女王=〝もう一人の神功皇后″へ贈られた可能性が高い。その名が、『日本書紀』では、時代が異なっていた。七支刀を受け取った女王の存在は、記録に残されなかった。

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