2025年12月31日水曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 宣化天皇

  二月壬申朔の大連任命は正しい日干支、倭国の武小廣國押盾が即位したのだろう。以降、倭国の記録も正しい日干支で記されている。『古事記』が太陽暦で記されているように、倭国蘇我氏は太陽暦、正しい日干支への換算が容易だったと考えられる。俀国は『法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘』から解るように、中国風の旧暦である。

二月壬申朔の皇后擁立は正しい日干支で崩じた麁鹿火の皇后の代わり、押甲の妃が皇后になったようだ。三月壬寅朔の皇后擁立は俀国の日干支で3月2日の日干支、2月は小の月である。『舊事本紀』は宣化二年と記し、押甲と麁鹿火が分裂王朝だったようだ。麁鹿火大連の薨は元年七月、安閑二年が押甲即位である。 夏五月辛丑朔の調に関する詔勅は正しい日干支、秦王国の記録で、筑紫・肥・豊の国はやはり統治下ではない。

二年冬十月壬辰朔は「新羅冦於任那」とあるように朝鮮の暦である。新羅は秦王国にとっては友好国、倭国と俀国が百済と友好関係だった。大伴金村・磐親子が俀国と友好関係にあり、筑紫に留まった磐が俀国に婿入りした可能性が高い。

 四年春二月乙酉朔の「天皇崩」、冬十一月庚戌朔の「葬天皇」は正しい日干支で、皇后橘皇女の子の上殖葉が江田船山古墳の被葬者の主君なのだから、二代目金村の上殖葉が磐、その父の初代の金村崩御だ。倭と秦王国の反乱だったのだろうか。天皇・橘皇女・孺子が同時の崩薨、さらに、大連も尾輿に代わっているので、押甲も同時に崩じ、流行り病かクーデターが考えられる。

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