2025年12月8日月曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 雄略天皇4

  雄略十八年秋八月己亥朔戊申も正しい日干支、目連は磐余甕栗宮大連で布都久留連の弟の清寧天皇である。目連の妃は記されないが、稚姫に婿入りした星川皇子なのだろう。反乱を起こした伊勢朝日郎は女国の王と考えられる。

雄略十九年春三月丙寅朔戊寅も正しい日干支で、穴穗部を置いた女国の真鳥の説話だろう。室屋の力を借りて伊勢朝日郎に勝った真鳥が穴穂の王だったと考えられる。勝利した後の説話で負けた王が大津の自領に新たに穴穂部を置く必要がない。室屋の協力が必要なほど、真鳥の勢力がまだ弱かったのだろう。伊勢朝日郎は圓の子の可能性があり、娘が伊勢の女王の稚足姫と思われる。

478年雄略廿二年春正月己酉朔は九州の暦で、「白髮皇子爲皇太子」とあるように、倭国の王朝交代だろう。『宋書』の、478年順帝昇明二年に「安東大將軍倭王」、「興死弟武立・・・安東大將軍倭國王」と記述される。弟が王位を継承すると言うことは、分家に王権が遷る、皇后が代わる、王朝交代である。ただし、雄略朝以降は倭王馬子が記述しているので、蘇我氏の王朝交代を記述した可能性も否定できない。

『舊事本紀』には「物部布都久留連公為大連」と記述されるが、二代目大長谷若建が即位したのだろう。大長谷若建の在位は454年から489年までの36年間、2から3代の大長谷若建が存在する。

雄略天皇二三年秋七月辛丑朔も八月庚午朔丙子も正しい日干支で、室屋が崩じ、室屋を襲名した談連と東漢掬直が遺言を代読したのだろう。遺言の中の「四夷賓服」は四方志の対象国の文身国・大漢国・倭国・女国なのだろう。大泊瀬幼武の薨去日は489年仁賢二年己巳年八月九日なので、大伴氏の雄略天皇陵の丹比高鷲原、河内の朝廷だった。古代は母が葬られている土地に葬られたようだ。

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