2025年12月19日金曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 武烈天皇

仁賢十一年秋八月庚戌朔、冬十月己酉朔は正しい日干支、崩御・埋葬は通常の皇位継承のようだ。『古事記』は武烈天皇が編んだようで、袁祁から小長谷若雀の崩御日を記さず、父の意祁の英雄譚が記される。袁祁は分家筋、本家の自分の王家は父親がまだ生存しているから、父の崩御日を記していない。完成させた蘇我氏は平群・巨勢氏を継承しているので、袁本杼の崩御日は記した。斉の時、乙祁の名を記すだけなので、宮も列城宮のままだ。小長谷若雀は意祁の名を継承した可能性がある。

仁賢十一年冬十一月戊寅朔戊子は正しい日干支。『日本書紀』は鮪と稚鷦鷯の戦乱を記し、『舊事本紀』は武烈元年として、同じく冬十一月戊寅朔に平和的に皇位に就いた。実質は、平群氏と巨勢氏の戦いだったのだろう。

元年春三月丁丑朔は正しい日干支で天皇即位ではなく皇后が即位した。春日娘子は同時に麻佐良も大連に即位していて、須羽直の娘の妹古の可能性がある。旧扶桑国の再統一だ。

六年秋九月乙巳朔は9月2日、8月が小の月の日干支で九州・吉備の暦だ。小泊瀬舍人を置いた。八年冬十二月壬辰朔も同様で、12月2日、11月が小の月の日干支で九州・吉備の暦だ。正しい日干支の継体二年冬十月辛亥朔癸丑に埋葬と記す。倭彦王の可能性が高い。三尾君の妹の倭媛は倭彦王の子か妹か。目大連の妃で、子の椀子は上殖葉大王の父だろう。椀子という有名な人物がいるのに、椀子の名をつけるなら、修飾が必要だ。天皇の埋葬で、河内の争奪戦が女国巨勢大臣と麻佐良の太子の麁鹿火大連、そして、倭を後ろ盾にした大伴氏によって始まる。そして、戦乱に乗じて、蘇我氏が倭国からの独立を図った。

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