2025年12月24日水曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 継体天皇2

  廿年秋九月丁酉朔の磐余玉穗遷都は間違いの日干支で、おそらく490年9月2日、8月は小の月の九州の暦である。巨勢氏は白雉年間に豊足臣の子の巨勢臣薬が記されるように豊国に関係をもつ。『古事記』では大長谷若建が489年に崩じ、490年が袁本杼元年である。倭国勢力に追われて、磐余から弟国へ逃れたのだろうか。

 秋八月辛卯朔の磐井に関する記事も間違いの日干支で527年7月30日晦日の日干支だ。廿一年夏六月壬辰朔は正しい日干支で磐井が反乱を起こし、八月に「筑紫以西汝制之」と分割案を示し、よく符合する。廿二年冬十一月甲寅朔は九州の日干支で、九州での記録、翌月糟屋を葛子は割譲した。筑紫以西を得たのは蘇我氏の大漢国、 『古事記』によれば527年男人は薨じた。

継体二十五年531年の天皇崩は3年のズレがあり、継体二十二年528年の崩御だろう。「日本天皇及太子皇子倶崩薨」とあるように、継体二十二年に女国王、翌年、太子の襲名した二世男人が薨じた。巨勢王朝の滅亡である。

 二十三年夏四月壬午朔は正しい日干支で任那が助けを求め、対応者は金村大連、任那・百済は俀国が後ろ盾、新羅・高句麗は畿内が友好関係を持っている。金村は俀国側の人物とわかる。廿四年春二月丁未朔も正しい日干支で、武烈天皇時から金村が皇位を奪取して24年たったと述べた。

 継体帝は「時年八十二」なので、531年か534年から82年前、大伴氏の室屋は450年か453年に倭王(漢直)興の分家した東漢直、後の俀国王の家系のようだ。

 

年候補

丁酉9月朔日 464 593 650

丁酉830日晦日 500

丁酉92 490(8月は小の月)

 

辛卯8月朔日 491 496 553 620

辛卯730日晦日 527

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