2025年12月10日水曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 清寧天皇1

  『古事記』では伊波禮甕栗宮で即位した天皇が「無皇后亦無御子故御名代定白髪部」と記述され、皇后がいなかった。そして、女国天皇は飯豊王で首都は「葛城忍海之高木角刺宮」と高島にあったようで、兄弟が平群志毘臣だろう。489年に真鳥と同時に崩じたと考えられる。清寧天皇は前皇后の草香幡梭媛の姪と考えられる吉備上道臣の娘の稚姫で、婿の星川が実権を握ったと考えられる。

磐城が『舊事本紀』に「皇太子雖是我弟」と言うように、星川が皇太子であり、大蔵を管理するのは当然である。星川は草香幡梭媛の子、星川は栲幡娘姫の婿と考えられる。

雄略二三年冬十月己巳朔は正しい日干支で、大伴室屋(?磐城が襲名)大連が「率臣連等奉璽於皇太子」と皇太子に天皇の璽を渡し、皇太子の星川は殺害され磐城が皇位を継承した。そして、清寧元年春正月戊戌朔も正しい日干支で、「設壇場於磐余甕栗陟天皇位・・・以大伴室屋大連爲大連」、すなわち磐余甕栗宮の天皇の位に就いた。大連は談(磐城皇子)が室屋を襲名したのだろう。「平群眞鳥大臣爲大臣」は男浅津間若子が454年甲午年正月十五日に崩じ、女国は平群大臣が継承した。

清寧元年冬十月癸巳朔辛丑も正しい日干支で「葬大泊瀬天皇于丹比高鷲原陵」と河内に埋葬しているので、河内出身の王だったことが解る。埋葬されたのは星川皇子か。清寧三年春正月丙辰朔は正しい日干支で、磐城王と考えられる大伴談が億計と弘計を迎え入れた。弘計は磐城皇子の孫娘の婿で、皇位を継承した。

清寧三年夏四月乙酉朔辛卯も正しい日干支だが、「以億計王爲皇太子」とあり、これまでは、倭国の王朝交代だった。しかし、倭王武は少なくとも、477年から502年天監元年「倭王武進號征東大將軍」まで、王位にあった。従って、億計が実際に太子になったか、後の倭国王となる、蘇我氏が分身国王に即位した可能性がある。

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