2025年12月29日月曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 安閑天皇2

  二年春正月戊申朔は2月朔日が正月だ。計算で求めると、1月30日が雨水なので、中気の決め方によって、閏月になる。534年12月に閏月があれば、正月朔日になる。梁書には大同元年春正月戊申朔とあり、大寒が12月29日晦日、雨水が1月30日、太陽の位置計算による閏月は2月にある。ユリウス数で算出した中気と日割りで決めた中気の違いである。古代人が簡単に決めることができるのは、冬至と夏至、春分と秋分。中気は簡単ではない。

夏四月丁丑朔は正しい日干支、「置勾舍人部 勾靭部」は秦王国の記事のようだ。五月丙午朔も同じく秦王国が中心になって恩賞を与えた。筑紫・豐國・火國・播磨國・備後國・婀娜國・阿波國・紀國・丹波國・近江國・尾張國・上毛野國・駿河國で領土が決まったようだ。

秋八月乙亥朔も正しい日干支だが、犬養部を置いたのだから、蘇我氏の記事のようだ。入鹿を殺害したのも稚犬養連網田、縣犬養連に天武朝で大伴鞍馬が記される。倭国は太陽暦と日干支を使用したため、変換が容易だったのかもしれない。九月甲辰朔は倭国の記事で櫻井田部連、縣犬養連、難波吉士が配下にいた。

冬十二月癸酉朔も正しい日干支で、秦王国の記録、麁鹿火の妃の春日山田皇女が崩じたようだ。「時年七十」と535年から70年前の466年(雄略十年)に春日大娘皇女の姉妹が分家した糠若子郎女(糠君の娘)、その娘が春日山田皇女なのだろう。

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