2025年5月12日月曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 尾張氏の神話43 忍山宿祢の娘の弟媛達

『舊事本紀』では、倭建の妃の中に穗積氏の祖の忍山宿祢の娘の弟媛が存在し、『日本書紀』は穗積氏の祖の忍山宿禰の娘の弟橘媛、『古事記』には穗積臣の祖の建忍山垂根の娘の弟財郎女が存在する。忍山宿禰は迩波縣君の祖の建氏でない大荒田で、娘婿の建氏の稲種が建忍山垂根と考えられる。

弟媛や弟財郎女の「弟」は弟国の姫の意味で、建稲種は2代程度存在し、世代としては1世代なので、二人の弟比賣を区別するため、2つの名が必要だったのだろうか。五百木之入日子を婿に迎え入れるまでは宿祢すなわち唯の王で、品陀真若を婿に迎え入れた時は垂根すなわち天皇の隣にいる。

五百木之入日子は尾綱真若刀婢の婿なのだから、子の品陀真若は母の兄の子の婿になる。建稲種の娘の尾綱真若刀婢の婿は五百木之入日子、建稲種の孫が品陀真若、妃は孫同士の金田屋野姫で、その娘の高木之入日賣の婿が建忍山垂根の子(曾孫)の尾綱根大臣である。

『古事記』の弟財郎女の夫の若帯日子は末裔が355年に薨じる人物で、和訶奴氣は394年に薨じる荒田彦の娘の葛比売の子の襲津彦である。建内宿禰の妃には宇豆彦道彦の娘の宇乃媛も存在するが、その妃は紀国の姫で、一世代後である。

建内宿禰は200年頃に木国から山背の紀里に移住し、宇乃媛は木國造の娘だった。葛比売は葛木國造の娘なので、山代移住前、安曇川や葛川近辺の葛木國造の娘を妃にして、その後に山代の平群の王となったと考えられる。201年に宇治川で麛坂王と戦い、山代を奪った可能性が高い。

他に父母が誰か記述しない弟橘比賣が存在するが、弟橘比賣の子が若建で若建は須賣伊呂大中日子を生んで、十市根の父となり矛盾する。正しくは、『舊事本紀』の若建は布多遲比賣の子で近江建部君の祖なので、十市根の娘の布多遲比賣の子が近江朝の皇太弟大中日子である。

弟比賣の子にも、武部君の祖の稚武彦が存在し、布多遲比賣の子の若建と同一人物である。また、布多遲比賣の子の稻依別と弟媛の子の稻入別も同一人物である。実子と義子の違いだ。そして、稚武彦の兄弟に丹羽建部君の祖の武田が存在し、迩波縣君の祖の大荒田(忍山宿禰)の娘の弟媛の子に当たることが解る。

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