八坂之入日子は伊勢神麻続連を賜姓される祖なので、伊勢麻績君に婿入りしたと考えられ、崇神六年に「拝祭伊勢大神之宮」の豐鋤入日賣に婿入りしたと考えられる。荒河刀辨の娘の息長水依比賣の娘が豐鋤入日賣、和迩臣の遠祖の母弟袁祁都比賣で、婿が八坂之入日子と考えられ、八坂之入日子の子が山代之大筒木眞若と考えられる。
山代之大筒木眞若は八坂之入日子の義弟の大入杵すなわち伊理泥の娘を妃にし、その孫の息長宿禰は遠津臣の娘を妃にした。古代の姻戚関係である。『舊事本紀』には、「上毛野國造・・・豊城入彦命孫彦狹嶋命初治」、「能等國造・・・大入來命孫彦狹嶋」とある。東山道十五國都督の彦狹嶋が能等國造が大入杵の孫、上毛野國造が豊城入彦の孫とある。すなわち、大入杵は豊城入彦である。
また、息長水依比賣の子になっている御井津比賣が息長氏の後継者、孝昭天皇和知都美が生まれた淡道の御井宮の比賣で、伊勢への分家の豐鋤入日賣が水穗五百依比賣、水之穗眞若が八坂之入日子という関係なのだろう。『舊事本紀』では建膽心大祢が御井宮の王の大祢を継承したと考えられる。すなわち、御井宮の比賣の御井津比賣の夫と思われ、神大根が豐鋤入日賣の前任者、崇神六年(?垂仁六年)大祢を継承した人物だったのだろう。
水之穗眞若が八坂之入日子に推定した理由は、八坂之入日子の娘の八坂之入日賣の子が五百木之入日子で、水穗五百依比賣の名を引き継いでいるからである。そして、五百木之入日子は穴穂宮太子だったのだから、父の十市根が穴太足尼である。その娘が比咩古、婿は膽咋大臣で、足尼は、宗教上の天皇と同等の地位、彦根の王の大祢、神大根を引き継いだ大国の王である。
八坂之入日子の姉の沼名木之入日賣の婿が大入杵と考えられ、その娘婿が八坂之入日子の子の山代之大筒木眞若、和迩臣を引き継いだと考えられる。大筒木眞若の曾孫の大多牟坂が和迩大臣と考えられる。
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