2025年2月21日金曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 尾張氏の神話10 和迩臣と紀伊國造

  「わに」の地名の初出は神武東征の時の曲浦で、そこで釣りをしていた木国造の祖の珍彦が海導者となり、賜名されて倭国造の祖の槁根津日子に名を替えた。『日本書紀』では倭国造に賜姓され、倭国が大和や淡海なら、首都の王の天皇になってしまうので、『古事記』の倭国造の祖が正しく、『日本書紀』の倭国は九州の倭国の可能性が高い。

199年に神功皇后(拘奴國王)が周芳の沙麼から筑紫に行幸した時、岡縣主の祖の熊鰐が洞海(久岐の海)で王を迎えた。熊鰐が『日本書紀』の倭国造、『舊事本紀』の和迩君なのだろう。

『日本書紀』は卑弥呼を神功皇后、男弟王を建内宿禰と想定し、首都は香椎宮だったので、槁根津日子はその倭国の王、『後漢書』の大倭王を意味する。『日本書紀』は「槁」を「椎」と書き換え、椎根津が香椎の津、香椎宮の主と考えられ、また、邪馬台国女王の壱与は市鹿文、火國造に賜姓した。椎・香椎は中国の文字をそのまま使っている中国人か邪馬壹國人が使用した地名だ。

和珥津は神功皇后が新羅征伐に出港した場所である。対馬とされるが、出向前なので、糟屋の宇美近辺である。実際の邪馬壹()國女王卑弥呼は「一國之魁帥」の夏磯媛である。

『古事記』の「うづひこ」は後代の建内宿禰の祖父の宇豆比古である。木国造は天道根で、和迩臣の祖の彦國押人の子の建斗禾が紀伊國造智名曽の妹の中名草姫に婿入りし、子の竟富那毘も城嶋連の祖の節名草姫に婿入りし和迩臣の祖を継承した。

天道根がいつ木国造になったかは不明だが、高倉下が天皇の璽を得て、孝昭天皇が淡道の御井宮から葛木に遷都した時、襲名した天道根が前の首都の淡道の御井宮(天忍人の妃の角屋姫が居たところ)で木国造になったのなら相応しい。天忍人の祖母は天道根の娘か孫娘で、天忍人の妃の角屋姫も大物主や天道根の後裔にあたる。

素戔嗚の子の大屋姫、饒速日の妃の御炊屋、御炊屋は天道日女の姉妹、天道根の子か妹で、香語山の妃は天道根の娘か孫の穗屋姫、天忍人の妃の角屋姫は名前から同じ氏族と考えられる。男神は地名を背負って移動したが、女神は土地を守り、野洲の女神は土地を移動しない八上比賣から始まる「ヤ」比賣、漢字の無い大倭国の世界で「ヤ」と言えば野洲である。

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