2025年2月19日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 尾張氏の神話9 國造

   師木縣主も十市縣主も首都があった地域の王が縣主と呼ばれた。元々は地域名が付かない縣主が後の天皇と呼ばれる存在だった。師木から首都が代わると、その地には残った王が存在し、師木縣主と呼ばれることになる。『日本書紀』の最初に記述される弟猾が得た猛田邑、その邑の王の弟猾が猛田縣主である。猾は宇迦能山に建国された王で、その場所の王が猛田縣主で猛田に首都があった。それ以外にも、春日縣主も記述されるが、開化朝の首都は春日だった。

猛田縣主と同時に記述されるのが、釼根の葛城國造と珍彦の倭國造である。それまでの官位に「国造」は無く、『古事記』・『日本書紀』では、崇神朝以降に荒河刀辨から記述される。『日本書紀』には首都倭に倭王を賜姓するという矛盾した倭国造や、『古事記』に記述されない葛城国造が記述されている。すなわち、首都だった場所の王を師木縣主と同じように国造と呼んだものと考えられる。唯一人の王が国造、首都が移動すると、国造が残って葛城国造、新しい首都の王が唯の国造、国造がインフレで価値がなくなり、王は天皇や大連と呼ばれるようになる。

『日本書紀』の綏靖朝以降の実在した初出の美濃国造は三野国造で、現代の美濃とは異なる、琵琶湖周辺の地域と考えられる。長浜に「三野之宇泥須別」の宇根があり、三野前国造が開化朝、三野後国造は成務朝、美濃国造は応神朝で景行朝の大碓と共に記述できるのは三野前国造である。開化朝の首都は春日、長浜を春日と推定出来たが、春日縣主も『日本書紀』は記述している。

『舊事本紀』では最初の地域名が無い国造が國造大穴牟遅なので、大国を造った王だ。神武朝に賜姓された國造は大倭國造、凡河内國造、山代國造、伊勢國造、素賀國造、紀伊國造、宇佐國造である。『古事記』において、孝元朝に、木國造の祖の宇豆比古、崇神朝に木國造の荒河刀辨なので、『舊事本紀』の神武朝の國造は崇神朝に賜姓した、インフレの國造なのだろう。

すなわち、崇神天皇の時、これらの国に崇神朝以前に首都を持つ国があったことを示しているのだろう。『舊事本紀』の神武天皇は狭野尊で、父は「御生一兒則武位起命矣初豐玉姫命別去之時」・「武位起命大和國造等祖」の武位起と記述され、大和國造は椎根津彦ではなく、椎根津彦は倭()國造と解る。大和國造の祖は反正天皇が河内に遷都した時、磐余若櫻宮の飯豊皇女の夫が祖だったのだろう。大和國造は首都が河内の時に初めて賜姓できる。

0 件のコメント:

コメントを投稿