2024年10月25日金曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 葛木氏の神話12 葛城天皇の系図

孝霊天皇の子の孝元天皇の妃は内色許賣で、伊迦賀色許賣は皇后の兄の内色許男の娘として記されている。開化天皇の妃である伊迦賀色許賣が大綜杵の子であることから、内色許男の娘である1代目の伊迦賀色許賣は大綜杵の妃だったことが解る。孝霊天皇から複数の妃が記述されているが、急に複数の妃を記述する理由が無い。

王朝は、代々、皇后の娘と皇后の兄弟の子との婚姻で継承されたのだから、複数の妃がいたとしても、記述する妃は一人である。他の妃の子は王朝交代に関係が無いので、記録として残す必要がない。複数の妃は孝元天皇の妃に、皇后の内色許賣の兄弟の娘を記述したように、皇后の親族を記述したと思われる。その王朝は、皇后の王朝なのだから。

2代目伊迦賀色許賣の子、比古布都押之信は尾張の連の祖の竟富那毘の妹である葛城の高千那毘賣を妃とし、山代の内臣の祖を生んだ。安曇川近辺の葛城の毘賣ということから、「しこぶちさん」を祀る内色許賣の娘である可能性が高い。『日本書紀』には記述されていないが、注釈では内色許賣の子の少名日子建猪心という天皇の母弟とされる人物が登場する。これは、「母弟武石彦」と同じように、大毘毘の義母の伊迦賀色許賣の系統の弟だということを意味している。

大毘毘の妃である2代目伊迦賀色許賣は大綜杵の娘であり、その弟が少名日子建猪心で、『日本書紀』でいう倭迹迹姫の婿と考えられる比古布都押之信に該当する。すなわち、少名日子建猪心と書き換えられた倭迹迹姫が葛城の高千那毘賣であると推測される。

『紀氏家牒』や『日本書紀』には、景行天皇の時代に孝安天皇の曽孫の屋主忍男武雄心が比古布都押之信の子の武内宿禰の父として記されている。つまり、高千那毘賣の子、味師内宿禰が少名日子建猪心の名を引き継いで吉備の王になり、後裔は成務天皇の時代に野洲の王である屋主武雄心(田心)となった。彼の子の建内宿禰が大臣になり、屋主武雄心の孫である市入が高志国造になった。

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