2024年10月16日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 葛木氏の神話8 葛木氏と尾張連

  御眞津日子訶惠志泥は、奧津余曾の妹である余曾多本毘賣を妃に迎え、大倭帶日子國押人を生んだとされている。和知都美は奧津余曾の妹である世襲足媛を妃に迎え、蝿伊呂泥と蝿伊呂杼を生んだが、『舊事本紀』では、彦國押人と日本足彦國杵()人を生んだとされている。孝昭天皇は御井宮から葛木の掖上に婿入りし、孝安天皇も首都は葛木で、奧津余曾は葛木彦になっている。『古事記』によれば、孝昭天皇の子は、波延の姉の夫と妹の夫なので、二人とも婿であったと考えられる。

御眞津日子の子である日本足彦國杵()人が蝿伊呂泥の婿となり、奧津余曾の子である彦國押人が蝿伊呂杼の婿となった可能性が高い。古代の王位継承は長女が相続し、同じ氏族間の王朝交代は長女で無い姫の依姫が継承する。

比古布都押之信の義理の兄である竟富那毘は、尾張連の祖であり、その父は建斗禾で、建斗禾の父は天戸目、天戸目の父は忍人で、忍男の子の尾張の連の祖の奧津余曾とは別系統である。尾張の連の祖の奧津余曾の子が忍人の婿の天戸目(彦國押人)であれば整合性が取れる。また、比古布都押之信の妃の竟富那毘の妹が葛木之高千那毘賣で、比古布都押之信が葛木の氏を引き継いで、竟富那毘は尾張連の祖を引き継いでいる。

天忍人の子供は天戸目と大蝮壬生連の祖である2代目の天忍男であり、奧津余曾の父の名の忍男を襲名しているのは婿になったためと考えられる。奧津余曾の()弟である建額赤が奧津余曾の妹の婿の御眞津日子である。建額赤の妃が葛󠄀城尾治置姫であったのだから、兄の奧津余曾も葛木氏なので葛木彦を名乗った。尾張氏の祖でもあったのは、葛󠄀城尾治置姫(余曾多本毘賣)が妹でないと奧津余曾が尾張出身とは言えなくなる。額赤の子供である建箇草は、若倭部連や葛木尉直の祖であり、若倭根子の末裔が若倭部で葛木氏を引き継いでいる。

2代目忍男が祖の大蝮壬生連の壬生部は伊邪本和氣の御名代であり、葛城部も同時に定められた。蝮部も水齒別のために作られた御名代であり、葛木氏の部民であったと考えられ、どちらも天忍男の後裔である。

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