2024年9月11日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 天降5 火遠理と天津日高日子

  火遠理すなわち天津日高日子は二人の人物を指しており、一人は後裔が帯中日子であり、履中天皇に繋がる人物で、高島の王である高木神に婿入りしたと考えられる。『古事記』ではもう一人の火遠理の妃として豐玉毘賣が記述されているが、彼女は速日別の女王であり、この火遠理は豊国王になったと思われる。

襲名した天津日高日子の不合の嫁は玉依毘賣であり、豐玉依毘賣ではない。また、忌部首の祖である天太玉(大国の王)の子は豊王の豊磐間戸と櫛王の櫛磐間戸で、彼らの子に娘がいれば、()玉姫と()玉依姫の可能性が高い。

そして、櫛玉は天皇の政大夫である天日方奇日方が居る国であるため、「櫛」を付けなくても名が理解される。そのような玉依姫に対して大物主や事代主の妃は活玉依姫と記述され、生倉が首都に含まれて玉依姫も継承されたようだ。天太玉は食国の政大夫が統治する神武・綏靖朝廷の時代における食国でない大国の王の大国主と考えられ、大物主の娘も()玉依姫を継承したのだろう。

また、伊都の高千穂の皇子である火遠理は小船で、筑紫の綿津見の国に向かい、豊国王の豐玉毘賣を妃にした。奇妙なのは、綿津見は伊邪那岐が竺紫の日向で生んだ安曇連の祖である斯香神であり、斯香は志賀島、筑紫なのに豊国である。加須屋大海祇、高御産巣日の出身地の速日別国の胸形や糟屋の国が豊国だった。大帯日子の子には豊国別と豊戸別が存在する。

『日本書紀』の一書には豐玉彦が登場し、豊国王の継承者が豐玉姫であることから、一書の豐玉彦は別の国の王になったと考えられる。同様に、宇沙都比古は宇沙都比賣を天種子の妃とし、宇沙を手放した。綿津見の子には宇都志日金拆が存在し、志賀島の分祀で、宇都志(宇津氏)は宇佐の氏と考えられる。すなわち、志賀島から宇佐へ分祀されたと考えられ、宇佐には金丸と日足が隣接して存在している。火遠理は豐玉彦に、そして、後裔は宇沙都比古に、更に安芸王、日向王になった。

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