2024年4月1日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 日本 『古事記』の祖神3

宇摩志阿斯訶備比古遲と同じく「別(こと)天神」、天()神から別れた神が『日本書紀』のみに記される「天之常立」なのだろう。後から支配者になった氏族の祖神を前に置いたと考えられる。「天之常立」の立は但馬の「タ」プラス土地神の霊()だろう。常世の国は「田道間守遣常世國令求非時香菓」と記述される地域である。「時香菓」は高麗橘、済州島原産で、萩に群生する橘の事だ。すなわち、「常」は六合の地域を日本人は「トコ」と言い、済州島は常の「ヨ」の国と呼んだのだろう。そして、天はシナ海、黄海、渤海。六合の島々や日本海南岸の常神半島も常に含まれたと考えられる。

隠岐の最初の住人は木の葉比等であり、彼らは西方千里の地から来たとされる。『伊未自由来記』は昭和初期に作成されたものであり、中国の1里は約400mなので、西方千里はおおよそ200㎞の距離だろう。朝鮮半島までは300㎞と遠く、おそらく須佐の高山岬辺りから、木の葉比等や於佐神も同じ地域から来たのだろう。その後、沖津久斯山祇が後を継ぎ、於漏知が出雲を奪い、隠岐にも到来した。於島の山祇は大海祇の力を借りて戦った。その後、出雲鞍山祇の子である大人様が加須屋の大神祇の援助を受けて王になった。加須屋は「三身國」であり、大国は三身の綱で建国された。大神祇は丹波に居住し、丹波の出雲は「大人國」と呼ばれたのだろう。その後、天津神の御子である美豆別之主が於島を征服した。この天津神の御子は三方の常神半島にいた「宇摩志阿斯訶備比古遲」を祀る鹽土老翁から隠岐へ向かうように命じられたのだろう。

美豆別主は天津神の子で、「久米部・綾部・工部・玉造部の民を率いて来島」したとされている。また、天津神は天の津の対馬を支配していたが、天津神の神子の後裔の大山津見の子の狹霧尊が三子島に降り立った。物部氏の神武天皇の幼名が佐野尊、偶然だろうか。美豆別主は別名で「小之凝呂別」とも呼ばれている。隱伎の三子島の別名は「天之忍許呂別」であり、於島すなわち許呂島の分国である。隠岐の島後には黒島が点在しているが、これが許呂の語源と関連している可能性がある。

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