2024年4月19日金曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 ゲノム解析記事に対する考察

令和6年4月18日付けの新聞によると、理化学研究所の寺尾知可史チームがゲノム解析を通じて、興味深い解析結果が出た。それによると、日本の縄文時代や弥生時代に生きた人々に加え、もう一つの系統が見つかったというのだ。さらに、日本人はネアンデルタール人やデニソワ人とのつながりも示唆された。

私はこれまで、日本人と共通する人種がチベットやシベリアなどの辺境に孤立して存在することから、日本人は最初に極東に到達した民族と考えてきました。その後、温暖化が進み、スンダランドから現代の中華系民族(北方系も含む)が進出してきて、それによって辺境に押しやられたと考えています。その為、日本列島は多くの種族が集まる地域であり、『山海經』には日本列島を含む「海經」の「海外經」や東と南の「大荒經」、「海内經」の一部に多数の国や集団が記載されていることから、多様な人々が存在したと推測できる。

アフリカからの移民は同じ時期に到達したものの、スンダランドにまとまった種族と、広い東アジアに散在した種族が存在しただろう。後者の散在した種族が、日本列島に押しやられたと理解している。この中には、ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑した種族も含まれていたと考えられる。特に、デニソワ人は東アジアに広く散在していたとされている。

歴史書の解析から、天と呼ばれた「海内經」の地域に住む倭人や聖人と東日本列島人との交流について述べてきた。さらに、葛城襲津彦の日向の妻やその子たち、日向の日臣大伴氏、宇佐の姫と中臣氏との子ら、曲浦の珍彦と同系の人々によって王朝交代が起こった。その後も、文身国(後に俀国と分裂した倭国となる)や大漢国(後に広国となる)の王である蘇我氏、そして俀国の王である天氏の天智天皇など、権力者が変遷してきた。襲津彦らは多くの配下を引き連れて熊襲に移動し、引き連れた者たちは熊襲との婚姻関係を通じて熊襲と血縁関係を持った。このような熊襲との血縁関係は、畿内を支配すると、畿内の有力者たちが姻戚関係を競い合って拡がる要因となる。一方で、権力のない中国人や扶余人が来ても、姻戚関係は拡がらなかったと考えられる。

この理化学研究所の記事は、「最終兵器の目」の研究の正統性を示すものとして、急遽掲載した。

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