『海内經』には、「西海之内流沙之中」に、「壑市」と呼ばれる国が存在していた。流沙之中はおそらく砂漠の中のオアシスのことだろう。この国は市場を開いて繁栄したようだ。『伊未自由来記』の中の大人様は、この「壑市」を参考にして、「海內東經」で黄海の中に市場を開いた。さらに、「大荒東經」では太平洋沿岸に「大人之國」という分国を建国し、「有大人之市」という市場を開いたようだ。同様に、「大荒北經」ではオホーツク海にも分国を建国した。
市場を造るには物産が必要だ。その物産を仕入れ、市場で交換した物を送り届ける国があったのだろう。これが国生み神話の国なのだろう。大人國は特に船造りを特筆し、「削船」という造船技術を持っていたようだ。船は多くの土地で出土しているが、その造船の記述は大人國にしか見られない。
『舊事本紀』によれば、大八州の構成国は八国ではなく、淡路州が数に含まれないため、7州となる。一方、『日本書紀』では淡路洲が含まれており、9洲となる。つまり、八つの国ではなくて、大八国という連合国の構成国を記述していると考えられる。二つの名の国の伊豫之二名島については愛上比賣と飯依比古の名前が起源と考えられる。また、粟國の大宜都比賣は琵琶湖の淡國の比賣と考えられる。気比大神は名前を交換し、琵琶湖から敦賀に来た。
津島の天之狹手依比賣や小豆島の大野手上比賣など、比賣を記述する場所には分国や市場が造られたと考えられる。天を接頭語にした国がいくつかあり、その中の津島や伊伎が『後漢書』等によれば、倭国に含まれ、畿内とは別の国だった。天を接頭語にする国は旧倭国の倭奴国の構成国と見なすべきだろう。倭奴国は三身国の義均が定めた九州を意味する。これらの天を冠する国々が倭奴国の構成国として含まれているのは、大人國が貿易対象としていた国々だったからと思われる。したがって、これらの大八島の国々は国を生みしたのではなく、市を造ったと考えられる。
大人國は(若)狭の分国の淡道之穗(穴太)から始まり、多くの市場を手に入れ、分家を造ったと考えられる。大人様は宇都須山祇の子で、祇は海から対馬、山は野洲の霊、宇都は宇治の津の大津が神の履歴書である。つまり、大八国の勢力下の大津の神であり、加須屋大海祇大神の姻戚だったと思われる。
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