2024年4月3日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 日本 『古事記』の祖神4

  天之常立は『舊事本紀』に記述されず、可美葦牙彦舅は記述される。そして、天之常立に替わって、『舊事本紀』に記述されるのが、天祖天譲日天狹霧國禪月國狹霧尊である。『舊事本紀』には狭土と大戸惑女が記述されているが、狹霧神について記述がない。おそらく、この狹霧神が『舊事本紀』の最初に記述された天祖の狹霧尊なのだろう。『舊事本紀』では、「一代生天神」の神が可美葦牙彦舅であり、美浜の神が物部氏の女系の祖神である可能性がある。美浜近辺には常神(ツネガミ)半島があり、常神社が美浜にもある。常立の生まれた場所のようだ。歴史書において、権力者の祖の神々をどのように位置付けるかが重要であった。

 従って、『舊事本紀』で可美葦牙彦舅と同列に扱われる天御中主も権力者の大連や大臣の姻戚だった可能性がある。葛木氏の葛木襲津彦の妃が阿武郡の奄智君の祖の日向襲津彦の娘で、その母、日向襲津彦の妃が中臣氏だったと私は考えている。日向襲津彦の母は日向髮長大田根、その大田を引き継いだと思われる、大田別の祖の豐門入彦が『舊事本紀』に存在し、安芸に大田別と思われる安芸太田がある。中臣氏の祖は天之(?)「タネ」で、豊門は穴門・長門の事、長門が仲国の発祥地なのだろうか。そして、355年乙卯年三月十五日に崩じた仲国王の帯中日子が葛木襲津彦だったと思われる。川上梟帥から名を譲られたが梟帥は姓で、熊襲日向の津彦、襲津彦が譲られた名だったのだろう。豐門入彦に対して、『日本書紀』と共通する國背()(豊戸別)が火國別の祖、母は()襲武媛で、仲国から分国した日向の王と思われる。97年十月丁酉朔は間違いの日干支で345年がピッタリ当て嵌まる。名を譲られた王が355年崩じた帯中日子だ。 

饒速日は、隠岐の西から船でやって来た。饒速日が祀る神は天祖の「天譲日天狹霧國禪月國狹霧尊」であり、饒速日はその神の後裔の天孫である。饒速日は日月の国の対馬から降ってきた狹霧尊を祀っている。「饒」は二岐を意味し、若狭と敦賀を併せて二岐と呼ぶそうで、二岐の日別の速の神である。狹霧は、対馬から国を譲られた神であり、対馬「女子国」は二女王が統治し、月神と日神を祀っている。また、「狭」は岬のことのようで、ここでは、多くの岬がある若狭の岬を指すと考えられる。狹霧尊は、対馬から来た天狹霧であり、もともといた国神であるペア神國狹霧は対馬神の後裔の大山津見が生んだ神だ。

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