2024年4月5日金曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 日本 『日本書紀』の始祖神1

『日本書紀』には、「開闢之初」と世界が生まれたとき、神聖の国常立が生まれたと記されている。ところが、「聖」は「ヒジリ」、つまり日本人が肥後をそう呼び、その地域の人々を指す。この「聖」の文字は、『山海經』の聖人に関連づけられるものと考えられる。本来、神には名前を必要とせず、海が神とされていただろう。その後、海の神を祀りアマやシマという名で呼ばれるようになり、海の神は天神と呼ばれた。一方、島の神は霊の「チ・シ・ジ・ヂ」である。島の人々のアイデンティティーが異なるため、異なる神々が信仰され、複数の神が存在するようになった。そのため、『古事記』や『日本書紀』では、「次に現れた神」「次に生まれた神」といった順序が示された。本来、祖神は複数ある必要が無いので、支配と被支配の関係と考えられる。

海は一つだが、複数の島があるので、違う島の住人たちは、ある島を自分たちの島の吾島(アマ)に対して吾汝方の「汝」河(ナカ)州や「汝」河(ナカ)国、彼方の「方」()島と呼んでいただろう。それで、但馬の国の神を「タ」の霊、「タチ」と呼んだ。生命を生み出すのは神である母、その子たちは生まれた土地で育ち、母親を尊重し、孫たちは亡くなった祖母を崇拝し、祖母は神として崇められる。

しかし、海から新しく神が来て、その国の土地に居を構える。元々の国の神である常立に加えて、新たな神も常立だ。新しい常立と既存の常立を区別するため、天と国や岐()と神()などが付け加えられて区別される。大伴氏の祖神の高御産巣日は、天から降った天常立ではなく、既存の国常立を祀る氏族だったのだろう。すなわち、『日本書紀』は「状如葦牙」の『古事記』の「如葦牙因萌騰之物而成神」の宇摩志阿斯訶備比古遲と思われる聖の天常立を消し去った。消し去った人物は『日本書紀』を最初に書いた雄略天皇である。

天常立は天から直通の神で、大伴氏の神の高御産巣日神は海から対馬(昼ヶ浦から?洲藻)そして宗像、三国を経由して高島の神になった。高御産巣日は『日本書紀』では國常立、泥土煮、大戸之道、面足、伊弉諾と続き、天照大神と同世代である。『舊事本紀』では伊邪那岐・伊邪那美と同世代、國常立が「二代化生天神」に対して高御産巣日は「七代耦生天神」の世代である。高御産巣日の名前の履歴書に合致する。

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