2024年4月8日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 日本 『日本書紀』の始祖神2

  「天常立」は六合を行き交った聖人、その出身地の肥後国を含む九州に関する記述は、『古事記』には肥国が「建日向日豐久士比泥別」とあり日向國は無く、熊曽国は「建日別」とある。一方、『舊事本紀』では肥国も熊襲国も「建日別」、日向国は「豐久士比泥別」とされている。つまり、拘奴への東征の前は肥・豊・熊襲・日向の4国がまとまっていて、日根別の豊の「久」(j iǔ)士、すなわち4国併せて拘(jū)州で、東征後は「建日別」の肥・熊襲と豐と日向に3分裂した。豊の中臣、日向の大伴、建の伊襲縣主、『三國志』の伊都爾支である。

日向国は東の拘奴の豊国からの分国で、火國(建日別)の分国の始祖の國背()別の子と思われる日向襲津彦が王だったのだろう。諸縣君牛諸井(君牛は君主だろう)の娘は日向國の髪長媛、諸縣は君の中の主がいる日向国の中心国であり、諸縣は諸縣君泉媛から景行天皇が譲られていて、泉媛の父が日向国を命名したのだろう。すなわち、日向髪長大田根も日向襲津彦も拘奴国崩壊後に生まれた人物と解る。『日本書紀』の日向國造の始祖の豐國別は『舊事本紀』には吉備別の祖と記述され、「吉備兒嶋謂建日方別」とあるように拘奴国の分国で襲津彦の東征の軍備補給地の王になっている。すなわち、豐國別の後裔は日向王、更に、吉備王となり、豐國別の妃が泉媛の可能性がある。豐國別の母の御刀媛は筑紫で生まれた時量師神を祀る姫なのだろう。

神武東征は筑紫から「速吸之門」を通過して菟狹に着いた。関門海峡の近辺には曲浦があり、そこが日根別の速日国である。豊前国の京から南にある「狗奴國」の碩田を討伐する際、速見邑があり、速津媛という女王がいた。すなわち、豊前・豊後は速の国だったようであり、東の「拘奴國」の地域に含まれた。豊と日向を奪われて、「狗奴國」は建日別の国、すなわち、肥と熊襲の領域の国となった。その後、南の「狗奴國」は卑弥呼等によって滅亡し、邪馬壹国には對蘇國、蘇奴國、華奴蘇奴國、伊蘇()國が含まれていた。伊都は伊襲縣主が統治した熊襲、建日別国に含まれた国である。

0 件のコメント:

コメントを投稿