史書の神話は、その王朝の祖がどのように生まれ、国を建国したかを物語るものである。通常、王朝の祖を生んだ人物は両親しかいないので、複数のペア神は必要ない。しかし、『日本書紀』では神を生む伊邪那岐・伊邪那美のペアのみが登場するが、『舊事本紀』と『古事記』では他の神を生むペア神も登場する。それは、速秋津日子・速秋津比賣のペアや大山上津見・野椎のペアだ。
速秋津日子・速秋津比賣は河海に因んで生んだとされるが、海神は大綿津見であり、水戸神の速秋津日子と速秋津比賣とは関連があるものの、海とはやや遠い存在である。本来なら海神はウ神(ミ)、河神はカ神(土)であると考えられる。つまり、名前のない海神の津見と河神の土が沫那藝・沫那美、頬那藝・頬那美、天之水分・國之水分、天之久比奢母智・國之久比奢母智の4ペア8柱の神を生み、また、山神の山椎と野神の野椎は山野に因んで天之狹土・國之狹土、天之狹霧・國之狹霧、天之闇戸・國之闇戸、大戸惑子・大戸惑女の4ペア8柱の神を生んだと思われる。しかも、海は淡海、河は野洲川だろう。
しかし、『舊事本紀』では、沫那藝は六代耦生天神の青橿城根の別名であり、國之狹土も二代化生天神の國常立の別名であるとされ、世代が矛盾している。つまり、國之狹土を生んだ大山上津見・野椎は最初の祖神である。沫那藝を生んだ速秋津日子・速秋津比賣も、七代耦生天神の伊邪那岐・伊邪那美よりも前に生まれた。このことから、『古事記』・『舊事本紀』は伊邪那岐・伊邪那美以外にも神を生む神がいることを主張し、複数の王朝が存在したことを示唆している。さらに、『舊事本紀』はこれらの神々の順序まで示している。つまり、『古事記』は大臣の王朝の神である伊邪那岐・伊邪那美に対して、速秋津日子と速秋津比賣の生んだ王朝と、大山上津見・野椎の生んだ王朝が存在したことを述べている。
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