2024年1月8日月曜日

最終兵器の目  新しい古代 『三國志』と韓

  『山海經』の韓地の国は「軒轅之國」のみ、半島南端の弁辰のようで、馬韓・辰韓には国が無い。弁辰を『三國志』は「弁辰韓合二十四國」中「其十二國屬辰王」と「辰國」領と記述する。弁辰の中に「弁辰狗邪國」がある。「辰王常用馬韓人作之」と弁辰は倭が自領という馬韓の人物が支配した。その「弁辰狗邪國」が倭人伝の「狗邪韓國」と考えられる。新羅は「共立其種為辰王」と辰王になったとある。しかし、それ以前に『後漢書』に「馬韓人復自立為辰王」と馬韓が辰王と自称していた。元々辰国が有ったので、馬韓人が辰王になった。この辰王は辰大国に統治を任された王の意味、多くの国の中の馬韓国や新羅国の王が辰王に任命された。建国して辰王ではなく、辰王に選出された、共立された人物を認める人物がいた。

辰國欲上書」は元封二年、前102年である。前57年より前に建国しても、謙虚に建国を遅くする国を聞いたことが無い。すなわち、馬韓・辰韓以前の朝貢しない辰国を中国史書は記述しない。「魏略曰:初右渠未破時・・・東之辰國」と辰國は衛氏朝鮮の東にあったと言う。馬韓や辰韓は南にあり、新羅建国前である。そして、『三國志』の辰韓王ではなく、漢や魏が承認しない辰王が存在する。新羅が朝貢するのは381年、奈勿尼師今二十六年の「秦貢方物」からである。しかも、新羅の国号は482年、「國名未定或稱斯羅或稱斯盧」と国名が無く、斯羅などを自称していた。すなわち、承認されていないので、他国、すなわち、畿内や倭は新羅と名付けていた。もしくは、雄略朝の時に自称した。そして、503年に「謹上號新羅國王王從之」と新羅を国号にした。

 『三國志』は馬韓に「諸國邑各以一人主祭天神號為天君」と記述した。『隋書』の「俀王姓阿毎」、「號阿輩雞彌」、俀国王の天の大君と同じと考えた。倭人と馬韓人は同じ神を祀っている。祭礼方法は、『後漢書』に「建大木以縣鼓事鬼神」と記述する。「そと」に立って、大木を建て、鈴や鼓をぶら下げて、神霊と見立てる。『三國志』は大木を建てるところを「名之爲蘇塗」と記述する。「鬼は外」だ。鬼は幽霊、霊と考えられているようで、六合で生まれる「神霊」と合致する。そして、倭人伝のみに「鬼國」と「鬼奴國」がある。当然、『山海經』の鬼國が念頭にあったと思われる。

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