2023年11月10日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 崇峻天皇

  大連天皇は『舊事本紀』「帝皇本紀」に、「守屋連公爲大連亦爲大臣」以降記述されない。さらに、『日本書紀』に記述されない朔の日干支。「冬十二月壬申朔」の巳卯に「皇后即天皇位於豐浦宮」が記述される。しかも、九州の暦で、『日本書紀』は推古天皇が主役の推古前紀に記述される。崇峻紀では、この朔の日干支以外は正しい日干支である。そして、馬子は『日本書紀』に「大臣」と記述するだけで、記述されなくなる。『舊事本紀』の廾八年春二月甲午朔甲辰の「勅撰録先代舊事天皇紀及國記」の日干支は間違いだ。620年にこの日干支は無く、625年の九州歴の晦の日干支だろう。『日本書紀』の「是歳」の「嶋大臣共議之録天皇記及國記」の記事で、大臣は嶋で馬子ではなく、襲名した馬子だ。「天皇爲大臣馬子宿禰見殺」は、「大臣馬子宿禰爲天皇見殺」なのではないだろうか。崇峻天皇は既に殺されたと記述され、「見殺す」の表現の主語は上位者の天皇が見殺しにした表現だ

倉梯宮御宇天皇御世立爲夫人」の御井夫人は天皇夫人である。夫人は反正帝の津野媛皇夫人が皇后、星川皇子の母の夫人稚媛は大伴室屋天皇の皇后と証明した。さらに、韓媛皇太夫人は真鳥天皇の皇后、小野夫人は弘計天皇の皇后、飯豊皇女も室屋皇后だ。継体帝は「天皇位尊皇妃立爲皇大夫人媛也」、即位すると妃を夫人にするなど、全て天皇皇后だ。敏達帝の老女子夫人、菟名子夫人は皇妃、大伴狛夫人は金村の妃だろう。皇太夫人堅鹽媛とあるように、御井夫人は堅鹽媛を継承したのだろう。以降、法提郎媛、氷上娘、大甦娘、阿倍夫人と皇妃が続く。石川夫人のみ大臣妃だが、恐らく、蘇我山田大臣は倭国最後の天皇だったと考えられる。

すなわち、倉梯宮皇后だった御井夫人が「皇后即天皇位於豐浦宮」と即位した。従って、崇峻天皇は「守屋大連之妹」の御井夫人の夫である。「蘇我大臣之妻是物部守屋大連之妹也」と記述され、蘇我大臣馬子である。すなわち、用明天皇の崩じた日付は守屋の薨、崇峻の崩が馬子の薨、嶋大臣が継承したと解る。そして、『古事記』の大臣の家系は豊御食炊屋比売に引き継がれた。そして、贄古と御井夫人の娘の鎌媛大刀自は「嶋大臣為妻生豊浦大臣」と記述される。すなわち、『古事記』を完成させ、『舊事本記』「帝皇本紀」までを記述させたのは、鎌媛大刀自と嶋大臣の子の豊浦大臣だろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿