2023年10月6日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 継体天皇前紀2

元号は『二中歴』「年始五百六十九年内丗九年」と記述される。すなわち、継体元年より569年前の前53年から始まった。それを継承した、継体元年である。そして、その元号が大長8年、711年まで継続した。天智天皇が即位しても、天武天皇が即位しても元号は変わらなかった。それは、神の朝廷の元号だったからということだ。そして、文武天皇が大化元号を建元した朝廷を追放して、大宝元号を建元した。

継体天皇は継体二四年に「朕承帝業於今廿四年」と述べている。すなわち、「獲保宗廟」から24年の539年の宣言だ。そして、欽明元年歳次己未539年、十二月庚辰朔甲申「尾輿連公為大連物部目連公為大臣」と政権が変わった。継体二四年の宣言後に崩じたようだ。そして、540年から尾輿が大連天皇で、3代目金村が20歳前で皇太子の大臣である。

意祁・麻佐良の子の若雀は婿の2代目麁鹿火と考えられる。意祁は初代麁鹿火の妹の影媛・春日娘子を妃にし、2代目麁鹿火の小長谷若雀が後を継ぐ。2代目麁鹿火の小長谷若雀の子の3代目麁鹿火も存在すると思われる。袁本杼の娘に婿入りして、広国押建金日と呼ばれたと思われる。2代目麁鹿火の小長谷若雀は、『古事記』に記述されない春日山田皇女を妃にしたようだ。『日本書紀』は武烈皇后にも、『古事記』に記述しない春日娘子、すなわち、春日山田皇女を重複させた。それは、3代目麁鹿火が女国を滅ぼし、扶桑国に統一したことを意味するようだ。丸迩日爪臣の娘の糠若子の夫は初代麁鹿火の妃なのだろう。力のある麁鹿火の妹の皇后影媛の子が、力のある影媛の兄の娘に婿入りして、皇位を継承する。吉備上道臣から物部麁鹿火に権力が遷った。

そして、3代目麁鹿火は大臣家の巨勢氏と尾張氏との娘に婿入りしたと思われる。尾張連の祖の凡連は、すでに尾張連が允恭五年に尾張連吾襲がいて、おそらく、紀伊尾張連の祖の枚夫のことと思われる。紀伊は平群氏に付いて回る地名だ。紀武内宿が「産紀伊国故名」、これは、山代の紀伊で紀伊国造莵道彦の国だ。そして、「家大倭国平群県紀里」とあるように、平群県に「下影媛居地同名紀里」と故郷の地名を持ち込んだ。その紀伊に尾張連が住み、平群氏は意乎巳連の家系で大臣の本家である。

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