2023年10月20日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 欽明天皇前紀1

欽明天皇は『舊事本紀』「帝皇本紀」に539年歳次巳未冬十二月庚辰朔甲申に記述がある。「尾輿連公為大連物部目連公為大臣」と、尾輿が天皇で、目が大臣である。『日本書紀』には欽明天皇即位前紀に「大伴金村大連物部尾輿大連爲大連及蘇我稻目宿禰大臣爲大臣」とある。すなわち、539年11月から12月に、大伴金村目大連天皇から尾輿大連天皇への継承があった。また、()目が大臣だったと記述している。そして、539年12月に、尾輿大連天皇、目大臣、すなわち、稲目大臣の体制になった。

539年に大伴金村目大連天皇と荒山が崩じた。そして、皇太子の荒山の子の尾輿が大連天皇に即位した。また、荒山の婿の2代目の目連の天国押波流岐広庭が目大臣、2代目稲目になった。このように想定できる。荒山の姉妹の橘中比賣を初代稲目の建小広国押楯が妃にし、娘石比賣と小石比賣を荒山の子の尾輿が妃にする、皇位奪取の常套手段だ。金村の妃の山田皇后が、金村崩後も実権を持ち、自ら皇位を継承しようとした。娘婿の初代稲目の建小広国押楯の天国押波流岐広庭に天皇を引き継ごうと考えたと考えられる。それで、即位前の荒山が薨じ、初代稲目の建小広国押楯も同時期に薨じた。

『舊事本紀』「天孫本紀」に尾輿の母の記述が無い。しかし、『古事記』に無く、『日本書紀』に、広国押建金日の妃が記述される。『古事記』に無く、『日本書紀』に記述される人物は継体帝本人やその子の妃と考えられる。億計の娘の「春日山田皇女」、物部木蓮子の娘の「宅媛」である。許勢男人の娘の「紗手媛、香香有媛」は『日本書紀』にも『古事記』にも記述されない。従って、継体帝目大連の娘で、袁本杼の子の広国押建金日が婿入りして、大臣を継承したのだろう。

継体帝目大連の娘の紗手媛、香香有媛の子は広国押建金日と建小広国押楯と考えられる。目子郎女の娘婿となり、意乎巳連を引き継いだ大臣である。そして、継体帝目大連の子の荒山は麁鹿火の本家の木蓮子の娘の宅媛に婿入りした。すなわち、荒山は秦王国と扶桑国の後継者である。金村天皇、荒山皇太子は戦乱での死亡したため、当然尾輿は若く、子は13歳以下だったと思われる。そのため、皇后の兄弟の稲目が皇太子になったと考えられる。

稲目の孫の豊御食炊屋比売は628年戊子三月十五日癸丑に崩じている。豊御食炊屋比売は559年生まれ、敏達五年、18歳で皇后だ。すると、初代稲目の娘の堅鹽媛は欽明元年、540年に18歳程度である。堅鹽媛の兄弟の2代目稲目大臣は10代、欽明尾輿天皇は20代だろう。

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