2023年10月18日水曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 宣化天皇

宣化天皇にも大連を「帝皇本紀」は記述しないが、「天孫本紀」は押甲と荒山を記述する。『日本書紀』は宣化天皇元年二月壬申朔「以大伴金村大連爲大連物部麁鹿火大連爲大連並如故又以蘇我稻目宿禰爲大臣」と記述する。すなわち、秦王国金村大連天皇、扶桑国麁鹿火大連天皇、女王国稻目大臣である。すなわち、麁鹿火を襲名した押甲大連扶桑国天皇、すると、荒山大連は女王国天皇以外残っていない。押甲は麁鹿火の弟、荒山は目大連金村の子、もしくは、婿である。目大連の子に金連が存在し、借馬連の祖だが、目大連の弟にも記述される。また、金連は尾張氏にも存在し、曾孫が紀伊尾張連の祖である。広国押建金日・建小広国押楯は尾張氏の祖の妹の子である。尾張氏は既に存在し、この祖は紀伊尾張氏と考えられ、金連を襲名したようだ。

また、建小広国押楯は袁本杼の子で広国押建金日の兄弟、すなわち、巨勢大臣の子でもある。『古事記』は大臣の系図だったが、広国押建金日の後継者が沼名倉太玉敷だった。すなわち、意祁の娘の手白髮は、前項で倭比賣が袁本杼の子の妃と述べたように、広国押建金日の妃の可能性が高い。それは、目子郎女の兄の尾張連の祖の凡連が意乎巳連を引き継いだと考えられるからである。そして、広国押建金日から沼名倉太玉敷が大臣を継承した。しかし、沼名倉太玉敷は49年も大臣として生きていて、奇異である。当然3代程度の襲名があったと考えるべきだろう。

『日本書紀』は大臣を稻目と記述している。すなわち、初代稲目が女王国大臣に就位したと考えられる。3代目が沼名倉太玉敷なのだから、2代目が天国押波流岐広庭、初代は建小広国押楯である。建小広国押楯の妃は意祁の子の橘中比賣、『古事記』に記述されない。すなわち、橘中比賣は意祁の子ではなく大伴金村大連天皇の子だ。その義子が建小広国押楯、初代稲目である。そして、橘中比賣の娘が石比賣、岐多斯比賣や小兄比賣も弓削連の祖の倭古連の娘達と思われる。倭古連は目大連の子で建小広国押楯と考えられ、孫が守屋弓削大連である。

三月壬寅朔の「有司請立皇后」は541年3月晦日の説話と考えられる。明要改元の年で、前皇后が筑紫で崩じたのではないだろうか。五月辛丑朔「収藏穀稼蓄積儲粮」と筑紫の兵糧を奪ったようで、争いがあったと思われる。そして、七月に「物部麁鹿火大連薨」と扶桑国が崩壊した。二年冬十月壬辰朔は9月晦日で、「天皇以新羅冦於任那」「助任那」と九州の暦だ。

539年二月乙酉朔甲午に大伴金村大連継体天皇が崩じた。おそらく、皇太子も共に崩じたのだろう。「廿五年三月日本天皇及太子皇子倶崩薨」と記述される。初代稲目大臣建小広国押楯も妃の橘中比賣も女王の太郎女、皇太子の太郎子も崩じたのだろう。大倭國身狹桃花鳥坂上陵は野洲近辺のことと考えられる。『古事記』には建小広国押楯も天国押波流岐広庭にも陵が記述されない。襲名した人物は1つの陵墓にまとめられ、末代の一人に代々の霊がある陵墓なのだろう。

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