2023年9月6日水曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 雄略天皇前期2

大長谷若建は489年己巳八月九日に崩じている。そして、480年、清寧元年庚申春正月戊戌朔壬子に、「室屋大連平群真鳥大連」とある。さらに、485年顯宗元年己丑春正月己巳朔、「物部小前宿祢為大連」とある。すなわち、480年から真鳥と室屋が天皇だった。『古事記』の白髪の役職名は大倭根子、天皇の役職名で、それ以外不要である。そして、白髪に崩御年が『古事記』に記述されていない。大長谷若建の薨が489年で白髪大倭根子の時代を内包している。女国の王は女王で、大臣はNo.2だ。しかし、真鳥の妃の草香幡梭姫橘大郎女女王の後継の春日大郎女が成人していなかったようだ。それで、真鳥が480年から、女王国、神の朝廷の大連天皇(大倭根子)に即位した。

『日本書紀』は清寧天皇を白髮武廣國押稚日本根子と記述している。『日本書紀』を記述した人物は、巨勢氏か蘇我氏の王の名を白髪(天皇)に武廣國押稚日本根子と記述したと考えられる。もしかしたら、稚日本根子が巨勢氏、武廣國押が蘇我氏かもしれない。許勢小柄宿禰は、許勢臣、雀部臣、輕部臣の祖である。巨勢氏の母系は玉勝山代根古が「雀部連軽部造蘇冝部首等祖」とあるように、山代王の系統だ。そして、武内大臣の兄、実際は祖先の味師内宿禰は山代内臣の祖で、山代根古の祖と考えられる。雀部臣の祖が神八井耳、意富臣の祖でもある。武内大臣が山背國紀郡の宇豆彦の娘を妃にした。その子の中に、蘇賀氏や、雀部臣や軽部臣の祖の巨勢小柄が存在してよくあう。

すなわち、大長谷若建は457年丁酉春三月庚戌朔壬子に「平群真鳥臣為大臣」と大臣に就位した。そして、480年、庚申春正月戊戌朔壬子に、「室屋大連平群真鳥大連」と、扶桑国と女国に大連天皇が並立した。458年から扶桑国天皇だった大伴連室屋に対し、実質大臣がNo1の女国の大臣が天皇を名乗った。大長谷若建が大臣、さらに、大連天皇を継承したのは、麥入・大日下の妹の若日下部を妃にできたからである。そして、女国の王位継承者の丸迩臣佐都紀の娘を妃に女国の皇位を継承したようだ。

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