2023年9月22日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 清寧天皇2

  白髪は女王国の男王真鳥大連天皇として即位し、天皇の姓の大倭根子となった。『古事記』は意祁が、ほゞ、完成させたので、意祁の事績を主に記述している。ところが、『日本書紀』は蘇我氏が記述したため、『古事記』と食い違っている。『日本書紀』は大倭根子では無く、「武廣國押稚日本根子」で、おそらく、蘇我氏の王の()姓と考えられる。また、志毘の恋敵も恋人も両書で全く異なる。『古事記』は天皇が2代目真鳥の白髪、恋敵が袁祁、対象が菟田首の娘の大魚である。

それに対して『日本書紀』は仁賢天皇、恋敵が小長谷若雀、対象が物部麁鹿火大連の娘の影媛である。しかし、『古事記』は白髪の説話なのだから、白髪が即位するときの説話とするほうが理に適う。482年頃、皇太子志毘が、意祁と難波小野王を取り合った可能性が高い。菟田首の名前を記述せず不明だ。しかし、489年に志毘が即位するときに難波小野王が自害した。そして、吉備上道臣は権力者でなくなった。

清寧三年九月壬子朔の「巡省風俗」、十一月辛亥朔の「賜綿帛」は九州の暦である。そして、清寧四年正月庚戌朔の「海表諸蕃使者於朝堂賜物」、九月丙子朔の「海表使者射賜物」も九州の暦だ。蘇我氏は韓子や高麗の名がつけられているように、任那に宮殿、恐らく、多沙城があったと考えられる。そして、「稚日本根子」と若狭を領有していたと考えられる。さらに、吉備上道臣の領地の仲国を侵略して、上道臣を弱体させた。蘇我氏は石井の乱で粕屋を奪って倭王となっている。すなわち、仲国(『梁書』の大漢國)と倭国の中間の文身国王の可能性が高い。

文身国は関門海峡の辺りで、当然、百濟と同盟関係の倭とも同盟関係だろう。海表の使者との交渉は蘇我氏が担ったと考えられる。女国も扶桑国もそれぞれ朝廷なのだから、大漢国、分身国、倭国もそれぞれ朝廷と考えられる。これら九州の暦は、天皇の崩御も含めて、分身国王蘇我氏の可能性が高い。実際の清寧天皇の崩は「冬十一月飯豐青尊崩」だろう。清寧三年正月、弘計王の「持節以王青盖車迎入宮中」で皇太子になったとき、皇位は室屋から飯豐と吉備上道臣に遷ったと考えられる。

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