2023年7月3日月曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 神功皇后前期2

  息長帯日売の父は息長宿禰、遠津臣の娘の高材比賣の子で、豐鋤入日賣の母も遠津氏の娘の年魚目目微比賣である。そして、豐鋤入日賣の母の年魚目目微比賣は木國造の荒河刀辨の娘の子である。息長宿禰の父の迦迩米雷は叔父の伊理泥の娘を妃にした。迦迩米雷の父の山代之大筒木眞若の母も妃も意富阿麻比賣の姉妹である。すなわち、迦迩米雷の妃の伊理泥の娘が息長の氏を受け継いだことが解る。伊理泥は名から判断すると、息長水依の子の神大根の婿の可能性が高い。その娘を迦迩米雷が妃にして、子の息長宿禰が息長を継承した。息長宿禰の母は木國造の荒河刀辨の娘の子なので、大國の淵の娘の弟苅羽田刀辨の可能性が高い。迦迩米雷は弟苅羽田刀辨の娘に婿入りし、石衝別と呼ばれたと思われ、子が息長宿禰である。そして、石衝別の妹の布多遲比賣と意富多牟和氣との子が稻依別である。息長帯日売の父は成務天皇、仲哀天皇と義兄弟にあたると思われる。

『舊事本紀』は、『古事記』が実の兄弟ではないとする稻依別と帯中日子が兄弟と記述する。すなわち、『古事記』の細かな血縁関係を、『舊事本紀』は纏め上げて、義兄弟、甥、まで兄弟と記述している。数世代を兄弟に纏め上げているのである。『舊事本紀』の倭建の妃は布多遲能伊理毘賣と大吉備建(吉備穴戸武姫)比賣と弟()比賣に集約している。すなわち、布多遲比賣は布多遲能伊理毘賣の娘の可能性が高い。また、帯中日子は意富多牟和氣の義兄弟である。そして、稻依別が武部君の祖だが、弟の稚武が近江武部君である。首都近江の武部君だから、稚武が長男、すなわち、稻依別は稻依毘賣の夫の息長宿禰と考えられる。さらに、弟媛の子達に、武部君の祖の稚武彦、尾張國丹羽建部君の祖の武田が存在する。これは、布多遲比賣の子と弟橘比賣の子の間で婚姻したことを示す。そして、弟橘比賣の子に稻入別や息長田別が存在し、これが、稻依毘賣の義兄弟や夫と考えると、理に適う。すなわち、稚武彦もしくは息長田別が息長宿禰の可能性がある。息長田別は阿波君の祖であるが、阿波君は高屋阿波良姫の阿波、琵琶湖の阿波だ。すなわち、淡海君の祖、屋主忍男武雄心、すなわち、若帯日子の可能性がある。

武部君の祖の中に、尾張國丹羽建部君の祖の武田王が存在した。建稲種の義父の迩波(丹羽)縣君の祖の大荒田も同系統である。子は尾綱根、品太天皇の大連である。また、武内宿祢の妃で、襲津彦宿祢の母の葛比売は葛城国造荒田彦の娘である。尾綱根と武内宿祢は同世代なのだから、この荒田彦は大荒田の子と思われる。そして、大荒田は葛城高額比賣と兄妹、稻依毘賣は義兄妹なので大荒田は稻入別・稻依別・稻依毘賣の兄妹の武田王に組み込まれたと考えられる。政権交代は建稲種の娘と稻依毘賣の子との婚姻で、建稲種の娘の子が天皇となる。葛木近辺に首都が在って、その後、難波に遷都した。遷都したあと、そこの国造なのだから荒田彦は天皇の家系で、尾綱根、襲津彦は皇位継承権を当然持つ。

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