2023年7月26日水曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 仁徳天皇前期1

難波高津宮天皇大連は存在しない。大別が「難波高津宮天皇御世詔為侍臣」、「歳次丁卯秋八月十五日天皇大別崩」と記述された。丁卯427年に天皇大別が崩じたと記述されている。その代わり、尾綱根が「譽田天皇御世爲大臣」、「品太天皇御世賜尾治連姓爲大江(?)大連」と記述される。譽田応神天皇大臣、品太(品陀)天皇大臣大連、そして、「意乎巳連此連大萑朝御世爲大臣」。尾綱根以降は妃が記述されず、大別も同じく妃が記述されず系図は不明である。しかし、大別は難波高津宮天皇皇后の矢田の叔父の家系、宇遲能和紀郎子が従弟の家系だ。309年に襲名した印葉の宇遲能和紀郎子は尾綱根と皇位継承争いをした。そして、313年に難波高津宮で品太天皇尾綱根大連が即位した。

尾綱根は建稲種と迩波縣君祖大荒田の娘玉姫との子である。「倭國造祖比香賀君女玉彦媛」と、後に倭国造になる家系と同一地域の人物である。襲津彦の祖父の葛城国造の荒田彦は大荒田の子、尾綱根の義兄弟と思われる。葛城高額比賣は葛比売の姉妹か叔母の可能性が高い。また、建稲種は手止與と尾張大印岐の娘との子である。印岐は忌寸で凡河内国造である。すなわち、建稲種は河内王で、子の尾綱根は河内の難波で天皇に即位した。そして、葛城国造の荒田彦は息長帯日売の叔父か従弟である。すなわち、息長帯日売の子の品陀和気は輕嶋豐明宮天皇の皇位継承権をもつ人物となる。

輕嶋豐明宮天皇紀は291年の説話、難波大隅宮で吉備臣の祖の御友別の妹兄媛を記述した。兄媛の子は下道臣の始祖の稻速別、上道臣の始祖の仲彦、三野臣の始祖の弟彦だ。『事本紀』は上道國造が中彦の子、三野國造が弟彦、下道國造が兄彦、亦名稻建別とある。建稲種は丹後国造の祖でもあり、隣接する多遲摩國造の祖を生む稻依毘賣と義兄妹であった可能性が高い。また、吉備上道國造が稻依毘賣の甥の品陀和気の可能性が高い。

三野前國造は八瓜、その後裔は八尺入日子、その娘の八坂之入日賣、その子の若帶日子と続く。八瓜の娘は吉備臣の祖の孫の大碓の妃で、大碓は美濃に封じられ、八尺入日子を受け継いでいる。その後継者が「元封弟彦命次定賜國造」と、元々封じられていた弟彦が三野國造になった。大碓の妃の兄比賣の子は三野の宇泥須和氣の祖で、三野國造・弟彦につながる人物である。大碓と弟比賣の子の弟日子は牟宜都君の祖、すなわち、景行天皇の子の牟宜都君の祖の弟別である。これは、弟別が弟比賣の娘に、稻速別も兄比賣の娘に婿入りし、仲彦は吉備を受け継いだようだ。すなわち、針間之伊那毘能大郎女の子達が、八坂之入日賣の娘たちに婿入りしたことを示している。

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