2023年7月28日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 仁徳天皇前期2

   291年の輕嶋豐明宮天皇の妃は大帯日子の妃の兄媛の説話だった。兄媛の子の仲彦、すなわち、帯中日子と仲国の王の役職を持ち、稻速別は、吉備小国王を継承し、弟彦は八坂之入日賣の婿になった。葛木氏の御真木入日子は318年に、子の大碓の兄弟の若帯日子は355年に薨じた。若帯日子はおそらく20歳代の313年に建内宿禰の和訶奴氣を生んでいる。従って、稻速別や仲彦、弟彦も若帯日子と同年代、290年頃に生まれたと思われる。仲彦は息長帯日売の夫で、362年以前に薨じたと思われる。そして、品陀和気が394年に薨じているので、年齢的には362年頃の薨は符合する。

兄媛は難波の媛で、父は、吉備に赴任していると記述している。しかし、兄媛の長男の稻速別は難波に住んで兄媛の庇護者と思われる。難波の王は凡河内国造の忌寸で、稻速別はその婿の建稲種と考えられる。建稲種の娘の尾綱真若刀婢は八坂之入日賣の子の五百城入彦の妃になった。建稲種の娘は五百城入彦の子の品陀真若の妃にもなっている。従って、尾綱真若刀婢は建稲種の妹と考えたほうが理に適う。尾綱根は大臣の時、襲名した建稲種、葛城国造の荒田彦本人か義兄弟であった。すなわち、三野国造りの祖の五百城入彦は兄媛の義子ということになる。

建稲種の妃は大荒田の娘で、武内宿祢の義父の葛城国造の荒田彦は大荒田の子の世代である。荒田彦は建稲種本人か義兄弟で、息長帯日売の母の葛城高額比賣は建稲種の義兄妹と考えられる。息長帯日売は輕嶋豐明宮天皇大多牟坂の妹である。兄媛の子の仲彦は息長帯日売を妃に品陀和気が生まれ、「中彦命兒多佐臣」と吉備上道国造の多佐臣である。多佐は韓地の多沙城に赴任したことを意味し、襲津彦は韓地に長く留まった。武内宿祢は天皇の側近、襲津彦は品太天皇尾綱根の甥で大雀の義父だ。

尾綱真若刀婢(恐らく建稲種の妹)は五百城入彦の妃に品陀眞若を生む。建稲種は葛城国造の祖の大荒田の娘を妃に尾綱根と金田屋野姫を生む。品陀眞若は金田屋野姫を妃に高木之入日賣、中日賣、弟日賣を生む。尾綱根の妹が品陀眞若の妃、とすると、記述されていないが、尾綱根の妃は五百木之入日子の妹が妃と考えられ、八尺入日子からつながる三野国造の弟彦が生まれた。八尺入日子、娘の八坂之入日賣、娘の五百木之入日賣、弟彦とつながっている。すなわち、品太天皇尾綱根の妃は品陀眞若の娘の弟日賣、娘が三野郎女で夫が弟彦なのだろう。仲姫は娘に木之荒田郎女が存在し、葛城国造の荒田彦・尾綱根の義子意乎巳の妃と考えられる。すなわち、武内宿禰の妃、曾都毘古の母の葛比売だ。大雀は大酒(大阪)主の娘の弟媛の子の品夜和氣、仲姫の娘に婿入りしたと思われる。また、高木之入日賣は輕嶋豐明宮天皇印葉の子、すなわち、皇位に就かなかった莵道稚郎の妃と考えられる。

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