2023年6月9日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 景行天皇5

  三年春二月庚寅朔の「遣屋主忍男武雄心」の記事は、間違いの記事である。以前、375年の百濟肖古王薨が神功皇后55年に記述されるので、321年が元年の王を述べた。その王が、この時生んだ、「生武内宿禰」で、「幸于紀伊國」と木国で王位に就いた屋主忍男武雄心大碓の若帯日子だ。『舊事本紀』は倭建を成務期に記述し、若帯日子を大帯日子と見做している。それは、大碓を大帯日子と見做して、子が若帯日子と小碓の双子が生まれたと見做した。すなわち、若帯日子の子が「天皇與武内宿禰同日生」と、同じ日に誕生した。

『古事記』、比古布都押之信と思われる御真木入日子の薨去が戊寅年十二月、318年と述べた。321年は新たな王の3年にあたり、王は若帯日子・屋主忍男武雄心、すなわち、武内宿禰の父である。同じ日に生まれた王は、おそらく、帯中日子で、武内宿禰の兄妹の五百木之入日賣の婿と考えられる。仲哀天皇の妃が『日本書記』では伊那毘能若郎女の子の日子人之大兄の娘の大中姫だ。しかし、『古事記』では大中比賣は訶具漏比賣の子の大江王の娘で別人である。大江王の娘が葛木氏の帯中日子の妃と考えられる。日子人之大兄の娘の大中姫は景行天皇の孫、大江王の娘は後の景行天皇、皇太弟大中日子の曾孫で応神期、世代が異なる。

すなわち、五百木之入日子は武内宿禰、子が品陀眞若(襲津彦宿祢)である。その娘が品陀和気の妃で、子の若沼毛二俣が継体天皇につながる。五百木之入日子の妃は建稲種の娘の尾綱真若刀婢、建稲種の子は尾綱根、応神天皇大連、天皇である。建稲種は物部氏から見れば軽嶋豊明宮応神天皇印葉大連の妹の山無媛の夫である。娘の八田皇女が皇位を継承し、兄弟の尾綱根が品陀天皇だ。品陀王は363から394年まで王位に就いていた。すなわち、武内宿禰の妃が天皇を退位した大臣尾綱根の娘で、武内宿禰が大臣を継いだ意乎巳である。成務三年春正月癸酉朔己卯、実際のところは、仁徳天皇三八年350年正月癸酉朔戊寅。「八田皇女爲皇后」の翌日である。 

『舊事本紀』には不明な五百木根、弟別がいて、味師内宿禰と考えられる。そして、321年が元年の王の薨去が若帯日子、すなわち、仁徳四三年にあたる、「乙卯年三月十五日」で355年だ。景行廿七年春二月辛丑朔壬子の「東國還」は345年、是年は、321年が元年の王朝の25年である。そして、景行「廿五年秋七月庚辰朔壬午」の「遣武内宿禰令察北陸」を、その321年の7月に当て嵌めた。北陸は「曠之」とはいえず、敵の真只中に視察するのは奇妙である。仁徳天皇五五年の367年の記事に、「蝦夷叛之」の記事があるが、321年が元年の王朝の55年の、375年の事件の可能性もある。

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