2023年6月5日月曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 景行天皇3

   景行天皇多遅麻大連に対し、葛木氏は大田田祢古の義弟にあたり、大田田祢古は大直祢古(根子)とも呼ばれる。鴨部美良姫の子、天日方奇日方の妃の賀牟度美良姫の後継者だ。大田田祢古は根国の天子で、兄弟が箸墓伝説の大物主の妃の倭迹迹姫の子だ。大田田祢古は葛木氏の伊香色雄から大直・大国王を奪ったようだ。倭迹迹姫は天日方奇日方の娘の渟中底姫の後継者、尾張氏の姫だ。しかし、倭迹迹姫は『古事記』には存在しない。代わりに、少名日子建猪心が記述される。倭迹迹姫は大物主妃なので、その娘に婿入りしたのが少名日子建猪心と考えられる。少名日子建猪心は天皇(大臣大毘古)の母弟、孝元天皇の妹に婿入りした。すると、倭迹迹姫を襲名した人物は夜麻登登母母曾毘賣の姉妹と考えられる。そこには、夜麻登登母母曾毘賣の弟として記述される。したがって、弟が少彦男心(少名日子建猪心)なので、比古伊佐勢理毘古、大吉備津日子と同一視している。少彦は吉備小国の王で、比古伊佐勢理毘古は吉備上道臣の祖だ。義弟の若日子建吉備津日子の娘の針間之伊那毘能大郎女は大帯日子の妃で、子の小碓は帯中日子の父である。

 子の説話は三野國造の祖の大根王の娘の兄比賣と弟比賣の説話で、大碓と弟比賣の子が弟日子だ。弟比賣の父は八尺入日子なので、大根王でもある。すなわち、弟比賣が八坂之入日賣で大帯日子の妃である。大帯日子の子の大碓の妃が大帯日子の妃と矛盾している。そして、大碓は美濃を与えられて、弟日子が応神天皇の時に美濃の国造を追認された。それは、大根王が崇神朝に美濃前国の国造で、その子孫が弟日子だ。兄の兄彦が吉備と思われる下道の国造、若日子建吉備津日子の末裔だ。中彦、恐らく帯中日子が上道の国造で、大吉備津日子の末裔である。ともに応神期に国造になっている。

すなわち、この大碓説話は大帯日子の説話ではない。応神天皇の頃の説話である。比古布都押之信が尾張連等の祖の、竟富那毘の妹の葛城之高千那毘賣に婿入りした説話と考えられる。代々の比古布都押之信は孝元期に若建吉備津日子の娘の、針間之伊那毘能大郎女に婿入りして分家(少名日子建猪心)。そして、開化期に大綜杵大臣の娘の伊迦賀色許賣に婿入りした(伊香色雄)。崇神朝には大伊賀彦の娘の御眞津比賣を妃にした(十市根)。子の膽咋宿禰は穴太足尼の娘の比咩古に婿入りして屋主忍男武雄心(若帯日子)の大碓である。大碓は八坂入姫と弟姫を妃にした。八坂入姫の子は兄彦(意乎巳・建内宿禰)と弟姫の子は弟彦(味師内宿禰・三野国造)、そして、娘が息長帶比賣(?五百木之入日賣)である。若帯日子の大碓は355年乙卯年三月十五日に薨じた。屋主忍男武雄心の父の襲名した比古布都押之信の御真木入日子は318年仁徳六年戊寅年の十二月に薨じた。応神期に子の大碓が野洲王、孫の兄彦が大臣・大国・吉備・播磨王、弟の弟彦は三野國造になった。そして、大碓が大帯日子なら、小碓の妃は伊那毘能大郎女の妹の伊那毘能若郎女を妃にしたと考えられる。子の日子人之大兄の娘の帯中日子の妃で吉備上道、仲国の王になった。

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