2023年6月7日水曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 景行天皇4

  建甕槌の子の建甕依と紀伊國造の娘の孫の阿田賀田須は和迩君の祖である。大物主建飯賀田須の兄弟で、『古事記』の神武天皇は大物主の娘を妃にする。阿田賀田須の母は大倭國民磯姫で、阿田賀田須の子は記述されない。また、孝安天皇の子の建斗禾は紀伊國造の娘を妃に、倭・丹波・但馬王の祖、すなわち、崇神天皇の父の建田背を生んだ。子は建田背と建宇那比、孫は建宇那比の子の建諸隅だ。そして、建宇那比も紀伊國造の娘と思われる節名草を妃にして二男一女、子が建諸隅と大海姫と記述され、一人は記述されない。

大海姫の父の建宇那比は『日本書紀』に大海宿禰と記述する。すなわち、大倭王で、大倭國民磯姫は兄弟か娘である。建宇那比の妹は宇那比姫、兄弟に建手和迩がいる。和迩君の祖が阿田賀田須なので、父の大御氣主が建手和迩の可能性が高い。そうすると、互いに婚姻するので、建宇那比の妃の節名草は大御氣主の娘で大御氣主は城嶋連の祖の可能性が高い。「しきしま」連、師木国の連、師国・木国の王族で、建諸隅が和迩氏を継いだと思われる。

天皇は大倭根子、そして、それを継いだのが、大毘古・大臣・大縣主の伊香色雄と大伊賀彦の比古由牟須美、子の沼河別の大筒木垂根と葛木朝廷である。それに対して、尾張氏の倭得玉彦、沙本毘古や丹波道主の弟彦兄弟の朝廷が分裂して、建諸隅の淡夜別へと継承したと考えられる。淡夜別は近淡海安直の祖の息長水依比賣の子の水穗眞若の大入杵の子と考えられる。水穗眞若は安國造の祖の意富多牟和氣も同じ人物の大入杵と思われる。

安國造・安直は近淡海の志賀の高穴穗宮で統治した王で、大陀牟夜別は志賀宮で淡海國造になった、すなわち天皇で、坐王の三世の孫だ。この三世の意味は、一世師木水垣宮の坐王の倭得玉彦。二世玉垣宮王意富多牟和氣の弟彦。三世高穴穗宮王大陀牟夜別の淡夜別の三世代の意味である。息長水依比賣は建諸隅の妹の意富阿麻比賣である。水穗眞若の弟が神大根の八瓜入日子、大碓が娘を妃にしている。しかし、これは、膽咋宿禰の説話と考えられ、妃の穴太足尼は首都の高穴穗宮の王を意味する。大入杵は伊勢大神を祀る豐鋤比賣に婿入りして、子が志賀宮天皇になった。柴野に遷った大入杵、柴野入杵の娘柴野比賣は景行天皇大中日子の妃になっている。大中日子は十市之入日賣の兄弟の八瓜日子と証明した。すなわち、景行天皇多遅麻は武諸遇の妹の子で娘婿となったと思われる。

豐木入日子は、大毘古・大伊賀彦の比古由牟須美の子の建沼河別と考えられる。母は遠津年魚目目微比賣、遠津臣は息長宿禰の母親、神話の物部氏の神の天狹霧の娘だ。すなわち、息長水依が義母、水穗五百依比賣・沼名木之入日賣の夫と考えられる。

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