2023年4月28日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 孝安天皇

 大倭帶日子國押人が葛󠄀木氏の葛木彦である。葛木氏の劔根の娘と尾張氏の天忍男との子の羸津世襲だ。長男でないので、葛木に婿入りしたので葛木氏で、尾張氏の祖でもある。それは、子が忍人の娘に婿入りするからだ。お互いの子同志が婚姻して、氏を引き継ぐ。孝安天皇は襲名し、葛木出石姫を妃にした天忍人の日子國押人・波延である。そして、卅八年から、葛󠄀木避姫を妃にした忍人の子の天戸目である。住む場所が変わると名が変わるようだ。羸津世襲・葛木彦と天戸目は従弟同志だが、名目上は襲名するので、忍男と忍人の兄弟である。葛木彦の妃は忍人と出石姫の子の葛󠄀城尾治置姫、本家葛木氏の姫と考えられる。天戸目の妃は葛木彦の娘の葛󠄀木避姫で名目上は姪である。従って、『古事記』の葛木彦の妃が姪忍鹿比賣、すなわち、天忍人の娘、『日本書紀』の師木縣主葉江の娘の長媛だ。『日本書紀』の孝安天皇の皇后は葛󠄀城尾治置姫の娘、姪の押媛、忍日女である。天忍人の娘で、天戸目の本家の姫である。天忍人は師木津日子の妃となった忍日女の家系と交互に婚姻しあい、師木に天戸目は居た。

 天皇の名の大倭根子は天子の意味、日子賦斗迩や日子国玖琉の地名が無い日子が天皇の名前だ。大倭根子は葛城氏の天皇名、天忍人の天皇名は縣主日子で、帯日子は二番目の地位と思われる。『古事記』は「日子八井」、「兄縣主波延」、「弟帯日子國忍人命者治天下也」と記述する。弟は最初、皇太子として実務を担当した事を意味し、忍人は襲名し、弟は忍男と名乗って、分家して、実務を担う。「日子八井」は和知都美、八国の淡道の御井宮天皇の事で、初代波延の忍人である。『日本書紀』は「日子八井」を記述せず、「磯城縣主葉江」、「日本足彦國押人」である。それに対して、葛木氏は八井耳、師木縣主、大倭日子、大倭帯日子で、天皇は宗教を担当する。それで、尾張氏は分裂し、葛木氏をバックにした弟は実務を担い、天皇より強大となる。そして、葛木氏が天皇に就く。

 前392年、「元年春正月乙酉朔辛卯」に、葛木出石姫を妃にした忍人が皇位についた。先代は角屋姫を妃にした忍人である。師木津彦と忍日女の子の和知都美は師木津彦の兄息石耳の娘の天豐津媛を妃にした。従妹だが、襲名するので、名目上は妹である。『古事記』の神武皇后が『日本書紀』の綏靖皇后であるように、孝昭皇后もズレていると思われる。従って、「秋八月辛巳朔」に世襲足媛ではなく、天豐津媛を皇太后としたと思われる。前391年、葛木出石姫がいる室の秋津嶋宮に遷都した。前367年、「春二月己丑朔壬寅」に天戸目が姪の葛󠄀木避姫を妃にして、皇太子になった。前の長男の皇太子が薨じたと思われる。前355年、「秋八月丙子朔己丑」に天戸目の父忍人が崩じた。前291年、葛󠄀木避姫の弟の忍男を襲名した葛木彦が天戸目から皇位を奪った。

 『日本書紀』に記述されない大吉備諸進が記述されるが、崇神天皇十年の「吉備津彦遣西道」が『古事記』に記述されない。日干支も朔が2日で間違っている。次代の孝霊天皇が葛木氏にかわり、子に大吉備津日子、若日子建吉備津日子と吉備の王がいる。孝安天皇の時、葛木氏の大倭帯日子が吉備を征服して、権勢が天皇を越えて、皇位を奪取したと考えられる。


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