2023年4月7日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 神武天皇即位前紀3

   前663年、「八月甲午朔乙未」は珍彦の説話と思われる。宗像の多紀理毘賣の子の阿遅鋤高日子根は葛木に祀られているように、根国の奈良湖が目的地。剱根も同じだ。珍彦は宇道の津の王になるのだから、大津が最終到着地である。菟田縣の王が猾で跡取りの兄猾が敗れて弟猾が珍彦について菟田縣の縣主になった。久米部と道臣が配下だった。記録をしているのは、君子国・周饒国・丈夫国だけ。複数国を支配しない国には記録は不要だ。支配しない国は、初代や英雄の説話を口伝で伝えればよい。支配国がある国は、伝説を支配国に示す必要があり、記録して示す。そして、記録が必要な国の人物は丈夫国の阿遅鋤高日子根と周饒国の珍彦と君子国の神屋(宮)である。君子国は丈夫国と周饒国を支配下に置いている。阿遅鋤高日子根は根国を支配して、筑紫から難波までの海路を支配下にしようとした。阿遅鋤高日子根は五瀬のことなのか、宗像ではなく葛󠄀上郡に祀られている。

 「九月甲子朔戊辰」「冬十月癸巳朔」、「十有一月癸亥朔己巳」は高倉下の説話だ。この並びの日干支は前482年にある。懿徳天皇の頃、高倉下と剱根が天皇の璽の剱靈を旗印に神屋王朝の八国の十人の梟帥を破った。天皇の璽の剱靈の持ち主の建甕槌は伊勢幡主の娘を妃にしていて、神屋朝の分裂である。子の建甕依は珍彦の末裔の木国造智名曽の叔母か母と思われる、名草姫を妃にしている。五瀬が嘆いて、入水したのも名草邑だ。そして、大來目部と道臣が忍坂邑で大勝利した。高倉下は天皇の璽の剱靈によって天皇に即位した。すなわち、高倉下神の神孫の和知都美・天忍人・波延が淡道の御井宮王朝を建てた説話と思われる。すなわち、阿俾良依姫は建甕槌の妹、阿比良比賣も建甕槌の妹と思われる。建甕槌の父建飯勝が小浜の王で、妃が出雲臣の娘、出雲大臣の兄弟だろうか。そして、「十有一月癸亥朔己巳」は珍彦や弟猾の配下となった鸕鷀草葺不合の孫の神沼河耳が吉野から磐余に入って、剱根と姻戚になった。そして、磯城の八国の十人の梟帥を滅ぼして、弟磯城と姻戚になって、師木津日子と名乗った説話だ。弟磯城は後に、師木に首都がある時の師木縣主、天皇の大倭根子になる人物だ。

 「十有二月癸巳朔丙申」は前228年が十二月癸巳朔で、孝霊天皇の時代、饒速日が根国に侵入した。出雲醜は倭志紀彦の妹の真鳥姫を妃にしている。長髄彦を襲名した剱根の子は磯城縣主の娘を妃に、弟磯城と呼ばれたと思われる。懿徳天皇の時代に、剱根の妃が建甕槌の兄妹の阿比良比賣、天村雲の妃も建甕槌の妹の阿俾良依姫と考えられる。物部氏の神武天皇は狭野である。大科度美と天狹霧の娘の遠津待根が姻戚になっているが、天狹霧の後裔が饒速日と考えられる。天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊が天狹霧と考えられる。そして、懿徳天皇時に、尾張氏は息石耳の娘を皇后にして、子が孝昭天皇となって王朝交代している。孝元天皇時に、欝色謎が皇后となって、開化天皇となって、王朝交代している。各氏族によって、歴史時代、すなわち、神武天皇は異なる。


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