2022年12月16日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』継体天皇類書2

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版『帝皇本紀』は続けて「丙寅遣臣連等持節以備法駕奉迎三國夾衛兵仗肅愗容儀警蹕前駈奄然而至於是男大迹天皇妟然自若踞坐胡床齊列陪臣既如帝坐持節使等由是敬憚傾心委令冀壹忠誠然天皇意裏尚疑久而不就適知河内馬飼首荒籠密奉遣使具述大臣大連等所以奉迎本意留二日三夜遂發乃喟然歎曰懿哉馬飼首汝若無遣使來告殆取嗤於天下世之幼論貴賤唯重其心盖謂荒籠乎及至踐祚厚加寵待也甲申天皇行至樟葉宮二月辛卯朔甲午大伴金村大連乃跪上天子鏡劔璽符再拜男大迹天皇謝曰子民治國重事也寡人不才不足稱領請迴賢者寡人不放大伴大連伏地固請男大迹 天皇西向讓者三南面讓者再者大伴大連等皆曰伏計之大王子民治國最冝稱臣等爲宗廟社稷計不敢忽幸(?+)承之庶聽納矣男大迹天皇曰大臣大連將相諸臣咸推寡人不敢承之乃受璽符也即天皇位尊皇妃立爲皇大夫人媛也庚子大伴大連奏請曰臣聞前王之宰世也非維城之固無以鎮共乾坤非掖庭之親無以継共趹萼是故白髮天皇無嗣遣臣祖父大伴大連室屋毎州安置三請則白髮部以留後世之名嗟矣可不愴欤復請納手白香皇女立爲皇后復遣神祇伯等敬祭神祇求天皇息允荅民望天皇曰可矣」、【丙寅に臣・連達を派遣して、任命の刀を持って輿を備え、三国へ迎えに行った。兵士達が刀をうやうやしく囲み、儀礼を疎かにしない隊列を整え、先ばらいとして駆けつけると、男大迹天皇は落ち着いて動ぜずに床几にかけていた。侍臣を整列させて、帝王のようで、迎えの刀をもった使いは、かしこまり、心を傾け、命を捧げて忠誠を尽くすことを誓った。しかし、天皇はここれに裏のあるとなお疑い、皇位に就かなかった。天皇は、河内馬飼首の荒籠を知っていた。荒籠は密かに使い送り、詳しく大臣・大連が迎えようとしている本意を伝えた。二日三晩留まって、ついに出発した。そして歎息して「よかった、馬飼首。もしお前が使いを送って知らせてくれなかったら、私は天下の笑いものになるところだった。世に“貴賎を論ずることなく、ただその心だけを重んずべし”というのは、思うに荒籠のようなものをいうのだろう」と言って、即位してから、厚く荒籠を寵愛した。甲申に天皇は樟葉宮についた。二月辛卯朔甲午、大伴金村大連はひざまずいて、天子の璽の鏡と剣を奉って拝礼した。男大迹天皇は「民をわが子として国を治めることは重大な仕事だ。私は才がなく、天子を称するには力不足である。どうかよく考えて、真の賢者を選んでほしい。自分では到底できないから」と辞退した。大伴大連は地に伏して固くお願いした。男大迹天皇は西に向かって三度譲り、南に向かってもう一度譲り、大伴大連らは皆「考えるに、大王は民を子として国を治めるのに、最も適任だ。私達は国家のために考えて、幸せにすることをおろそかにしません。どうか人々の願いを聞いてください」と言って土下座した。男大迹天皇は「大臣・大連・将相・諸臣が私を推すのなら、私も受けないわけにはいかない」と言って、璽を受けて即位し、また、皇妃を尊んで皇大夫人媛とした。庚子、大伴大連が「臣が以前から聞くところ、王が世を治めるのに、城を維持せずに天地の鎮められず、後宮を養わずに後継できない。このため、白髮天皇は、跡継がなかったので、私の祖父の大伴大連室屋を派遣して、国ごとに三つの白髪部を置き、名を後世に残そうとし、とてもいたましかった。手白香皇女を皇后とし、神祇伯を派遣して、地祇を祭り、天皇の跡継ぎを求めて、民の望みに答えてほしい」と願い、天皇は「わかった」と言った。】と訳した。

二月辛卯朔甲午」は『日本書紀』に辛卯朔が記述されず、『日本書紀』が「二月甲午」の資料を記述したことが解り、継体天皇に即位を求めたのは、物部氏の資料だったということだ。

すなわち、小長谷の後継者争い、小長谷の妃の春日娘子の不明な兄弟と、それに対して春日山田皇女の夫と思われる麁鹿火が皇位を争い、麁鹿火の娘の影媛を妃にできなかったので、小長谷の皇位継承者に成れず、それに対して、勾金橋天皇妃の許勢男人大臣女紗手媛、香香有媛は少なくとも一人は小長谷の妃と思われ、許勢男人が後継争いに勝利し、『日本書紀』は目連や麁鹿火の資料を用いて記述しているようだ。

倭彦と男大迹の皇位争奪は三尾君の娘の名が倭媛とあり、三尾君の祖石衝別は布多遲能伊理毘賣の兄で帯中津日子の母、足仲彦天皇五世孫の倭彦も三尾君の姻戚の可能性が高く、足仲彦と思われる彦狹嶋は北陸を含む東山道十五國の都督で、倭媛は巨勢男人の妃と思われ、男人が小長谷の後を継いだと考えられ、寵愛された河内馬飼首は彦狹嶋の影響下だった近江毛野臣に付き従っている。

手白香皇女の夫は蘇我稻目宿禰の可能性が高く、それは、巨勢氏は巨勢臣藥が豐足臣の子と記述されるように豊国を統治していたようで、豊国は『筑後國風土記』に「筑紫君石井・・・獨自遁于豐前國上膳縣終于南山峻嶺之曲」と磐井に勝って奪った地域で、蘇我氏と協力関係だったと思われるからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿