2022年11月21日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』清寧天皇類書4

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「故將治天下之間平群臣之祖名志毘臣立于歌恒()取其表()祁命將婚之美人乎其孃子者兎田首等之女名大魚也尓表()祁命亦立歌恒()於是志毘臣歌曰意富美夜能表()登都波多傳須美加多夫祁理如此歌而乞其歌末之時袁祁命歌曰意富多又()美袁遅那美許曽須美賀()多夫祁礼尓志毘臣亦歌曰意富岐美能許々呂袁由良美淤美能古能夜弊能斯婆()加岐伊理多々受阿理於是王子亦歌曰斯本勢能那表()理袁美禮婆阿蘇毘久流志毘賀波多傳尓都麻多弖理美由尓志毘臣愈怒歌曰意富岐美能美古能志婆加岐夜布士麻理斯麻理母登本斯岐禮牟志婆加氣()夜氣乎()志婆加岐尓王子亦歌曰意布袁余志斯毘都久阿麻余斯賀阿禮婆宇良胡本斯祁牟志毘都久志毘如此歌而(闕闘)開明各退明且()之時意祁命袁祁命二柱議云凡朝廷人等者且()参赴於朝廷晝集於志毘門亦今者志毘必寐亦其門無人故非今者難可謀即興軍圍志毘臣家乃殺也於是二柱王子等各相譲天下意()祁命譲其弟袁祁命曰住於計()間志自乎()家時汝命不顯名者更非臨天下之君是既爲汝命之功故吾雖兄猶汝命先治天下而堅譲故不得辞而袁祁命先治天下也」、【それで、天下を治める間に、平群臣の祖の志毘臣が、歌垣に集まって、袁祁が口説こうとしていた美人の手を取った。その乙女は、菟田首の娘の、大魚だ。そこで袁祁も歌垣に混ざった。そこで志毘臣が歌()った。この様に歌って、その返歌を求めた時、袁祁が歌()った。そこで志毘臣は、亦、歌()った。そこで王子は、亦、歌()った。そこで志毘臣はますます怒って歌()った。そこで王子は、亦、歌()った。この様に歌って、争い明して、其々引き下がった。翌朝、意祁と袁祁の二柱は相談して、「凡そ朝廷の人は、朝は朝廷に參上し、昼は志毘の門に集る。亦、今は志毘はきっと寢ているだろう。亦、その門番は居ないだろう。それで、今でなければに暗殺は難しいだろう。」と言って、兵を興して志毘臣の家を圍んで、殺した。それで二柱の王子達は、其々、天下を譲り合った。意祁は、弟袁祁に譲ってい、「針間の志自牟の家に住んでいた時、あなたが名を明かさなかったら、天下を治められなかった。これはあなたの功績だ。それで、私は兄ではあるが、それでも、あなたが先に天下を治めなさい。」と言って、堅く譲った。それで、断り切れず、袁祁が先に天下を治めた。】と訳した。

『日本書紀』では皇太子袁祁に対して『古事記』は稚鷦鷯、菟田首の娘の大魚に対して物部麁鹿火大連の娘の影媛、平群賜姓前の平群臣の祖の志毘臣に対して、「奸眞鳥大臣男鮪」と大臣なのだから平群賜姓後の鮪と内容は同じでも、姓の無い皇室の鮪と平群臣と姓が有る臣下の鮪と全く異なる。

この説話は『日本書紀』の年号観では、億計が即位して稚鷦鷯が太子になったと思われる488年頃の説話で、麁鹿火大連は「石上廣高宮」から「勾金橋」の大連であるが、『舊事本紀』では大連麁鹿は「勾金橋宮御宇天皇御世爲大連」で、実際の麁鹿火大連の娘の影媛を奪い合ったのは、「麁鹿火大連薨」が536年なので、500年頃、すなわち、『梁書』どおり、499年乙祁即位で、太子の稚鷦鷯と目連、若しくは、子の荒山連とが奪い合ったと考えられる。

『舊事本紀』での物部氏の人名紹介『天孫本紀』で目連に大連が付加されるのは、伊莒弗の子の清寧天皇時「弟物部目大連」、木蓮子の子の継体天皇時「弟物部目連」、目大連 の曽孫の「弟物部守屋大連」で守屋の子雄君と目大連の娘の豊媛の子が目連を襲名し、欽明天皇時「物部目連公為大臣」、用明天皇時「守屋連公爲大連亦爲大臣」のように大臣と呼ばれ、この磯城嶋宮時「目大連」が守屋の孫では矛盾が生じ、目大連の甥の木蓮子の子、麁鹿大連の叔父の「目連」が継体天皇として即位し、この目連の孫が欽明天皇時「物部目連公為大臣」すなわち皇太子で、目連の弟の荒山の子の尾輿、更に御狩が皇位を継承し、弟の守屋も大臣と呼ばれる皇太子として殺害されたと思われる。

『日本書紀』の歴史観は485年ではなく、488年に弘計天皇が真鳥・鮪親子を滅ぼして即位し、皇太子が億計で、億計の後ろ盾が「麁鹿火」や「和珥」氏だったことを意味し、「弘計」は「こ(ぅを)け」で「乙祁」とは読めず、「億計」が『梁書』の「乙祁」と考えられ、499年に「億計」が即位したと思われる。

「目」の即位が所謂九州年号の継体元年517年で名目上517年武烈8年にもう一つの朝廷、2朝並立の稚鷦鷯天皇・皇太子の巨勢男人の崩御が「廿五年歳次辛亥崩者取百濟本記爲文・・・日本天皇及太子皇子倶崩薨」と教倒元年531年に死亡している。

継体28年の死亡は推古天皇の資料で、「目」が大連に就任して28年で死亡した説話と思われ、甥の「麁鹿火」が稚鷦鷯から531年に皇位を奪って目連と並立したようで、『日本書紀』は『古事記』の鮪と皇太子の説話を「麁鹿火」の後継者争いに流用したと考えられる。

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