『日本書紀』慶長版一書は一書(2)「一書曰門前有一好井井上有百枝杜樹故彥火火出見尊跳昇其樹而立之于時海神之女豊玉姫手持玉鋺来将汲水正見人影在於井中乃仰視之驚而墜鋺鋺既破碎不顧而還入謂父母曰妾見一人在於井邊樹上顏色甚美容貌且閑殆非常之人者也時父神聞而竒之乃設八重席迎入坐定因問来意對以情之委曲時海神便起憐心盡召鰭廣鰭狹而問之皆曰不知但赤女有口疾不来亦云曰口女有口疾即急召至探其口者所失之針鈎立得於是海神制曰你口女從今以往不得呑餌又不得預天孫之饌即以口女魚所以不進御者此其縁也及至彥火火出見尊将歸之時海神白言今者天神之孫辱臨吾處中心欣處何日忘之乃以思則潮溢之瓊思則潮涸之瓊副其釣而奉進之曰皇孫雖隔八重之隈冀時復相憶而勿棄置也因教之曰以此鈎與汝兄時則稱貧釣滅鈎落薄鈎言訖以後手投棄與之勿以向授若兄起忿怒有賊害之心者則出潮溢瓊以漂溺之若已至危若求愍者則出潮涸瓊以救之如此逼悩自當臣伏時彥火火出見尊受彼瓊釣歸来本宮一依海神之教先以其釣與兄兄怒不受故弟出潮溢瓊則潮大溢而兄自沒溺因請之曰吾當事汝爲奴僕願垂救活弟出潮涸瓊則潮自涸而兄還平復已而兄改前言曰吾是汝兄如何爲人兄而事弟耶弟時出潮溢瓊兄見之走登髙山則潮亦沒山兄縁髙樹則潮亦沒樹兄既窮途無所逃去乃伏罪曰吾已過矣從今以往吾子孫八十連属恒當爲汝俳人一云狗人請哀之弟還出涸瓊則潮自息於是兄知弟有神德遂以伏事其弟是以火酢芹命苗裔諸隼人等至今不離天皇宮墻之傍代吠狗而奉事者矣世人不債失針此其縁也」、【一書に、門の前に一箇の良い井戸が有った。井戸の辺に百枝の杜の樹が有った。それで、彦火火出見、その樹に飛び乗って昇り立った。その時に、海神の娘の豐玉姫が、手に玉の椀を持って、来て水を汲もうとした。人影が、井戸の中に映るのを見て、上を見た。
驚いて椀を落として、割れ砕けたが、振り返りもせず帰って、父母に「一人、井戸辺の樹の上に居るのを見た。顔色がとてもよくて、顔つきも落ち着いている。きっと普通の人ではない」と言った。その時父神が聞いて怪しんで、八重の敷物を敷いて迎えた。座っているときに遣ってきた理由を聞くと、詳しく理由を答えた。それで海神は、憐れんで、全ての大小の魚を集めて問いかけた。皆は、「知らない。ただ鯛のみ口を痛めてきていない」と言った。また「ボラが口を痛めている」と言った。それですぐに招いて、口を探ると、失った鉤針を見つけた。それで、海神が「ボラよ、これからは、どこでも餌を吞み込むな。また天孫の供え物にしない」と言って決めた。それでボラを、お供えにしないのはこのためだ。彦火火出見は、帰ろうとするとき、海神が、「今、天神の孫、ありがたくもここに来た。この喜びをいつまでも忘れません」と言った。それで潮溢之瓊の呪い、潮涸之瓊の呪いを、その鉤と一緒に渡して、「皇孫が八重の隈を隔てても、お願いだから、思い出して捨てなさるな」と言った。それで「この鉤を兄に渡すときに、釣れない鉤、滅ぼす鉤、不幸せになる鉤と言いなさい。言い終わったら、目も合わさず後ろに投げ捨てなさい。顔をみて与えてはいけません。もし兄が怒って、反逆の気持ちが有ったなら、潮溢瓊を出して溺れさせなさい。もしもう苦しんで、救ってほしいと求められたら、潮涸瓊を出して救いなさい。この様に責めれば、自からに臣従するでしょう」と教えた。それで彦火火出見は、その瓊と鉤とを受け取り、本宮に帰って来た。それで海神の教のままに、まず鉤を兄に渡した。兄は怒って受け取らなかった。それで、弟は、潮溢瓊を出すと、大きな潮が満ちて、兄がおぼれた。それで「私はお前に仕えて従僕になる。お願いだから救って生かしてほしい」と救いを求めた。弟は、潮涸瓊を出すと、潮が引いて、兄の意識が戻った。それで兄は、前言を翻して、「私はお前の兄だ。人として兄が弟に仕えられない」と言った。弟は、その時に溢瓊を出した。兄は、それを見て高山に逃げ登った。すると潮がまた山をも水没させた。兄は、高い樹に登った。それなのに潮がまた樹をも水没させた。兄もう差し迫って逃げる所が無くなった。それで罪を認めて「過ちを犯した。今からは私の孫子ずっといつもお前の為に働こう。ある本には、狗人と言う。お願いだから憐れんでくれ」と言った。弟は帰って涸瓊を出すと、潮が自然に和らいだ。それで、兄は、弟の神がかった力が有ることを知って、とうとう弟に屈服した。それで、火酢芹の末裔は、諸々の隼人達が、今に至るまで天皇の宮の塀の傍を離れず、代々、吠える狗のように仕えている。世の人が失った針を取り戻そうとしないのは、これが縁だ。】と訳した。
『後漢書』は後漢から晋・宋代に古本が有り、445年に死んだ范曄がまとめた作で、『日本書紀』を記述した時には既に読むことが出来、「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀」・「倭國之極南界也」と倭国の中に「倭奴國」があると記述し、それに対抗する勢力に「拘奴國雖皆倭種」と「拘奴國」があって倭人ではなく倭種と述べている。
すなわち、倭人の国が「倭國」でその中に「倭奴國」があり、倭種の「拘奴國」があるのだから、倭種の一部が拘人で「拘國」があり、その中に「拘奴國」があると推定できる。
そして、この一書(2)には、「狗人」が記述され、『後漢書』の「拘奴國」は『三国志』に「狗奴國」と、『三国志』を基に文字を流用し、火酢芹の末裔は『三国志』に記述される「狗奴國」と同じ種族と理解していると考えられ、「狗奴」を記述しない理由は「狗奴」が隼人とは違う種族の人物だと考えたからと思われる。
すなわち、景行天皇が鎮圧した熊襲が「狗奴」で、葛城氏が「狗奴」の地の日向を支配して、この熊襲の土地は『舊事本記』に「日向國謂豊久士比泥別」と「豊」と呼ばれていて、熊襲の姫の子達が天皇になり、履中天皇の時に「仲皇子思太子已逃亡而無備時有近習隼人」と隼人が出現し、神話とよく合致する。
『日本書紀』は中国史書を理解した上で、表意文字を使用し、この一書(2)は『後漢書』ではなく、『三国志』の狗人を理解して狗人を使用し、本来は「はやと」は速水の「速人」だった種族も「隼人」と表意文字を変えたと考えられる。
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