2021年11月26日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』 類書 『舊事本紀』天神本紀2

  舊事本紀前川茂右衛門寛永版『天神本紀』は続けて「・・・副五部人爲從天降供奉物部造等祖天津麻良笠縫部等祖天勇薭一本天津湯爲奈部等祖天津赤占十市部首等祖富富築紫弦田物部等祖天津赤星吾部造爲件領卛天物部天降供奉二田造大庭造舎人造勇薭造坂戸造天物部等二十五部人同帯兵杖天降供奉二田物部當麻物部芹田物部馬見物部横田物部嶋戸物部浮田物部巷冝物部須尺物部田尻物部赤間物部久米物部狹竹物部大豆物部肩野物部羽東物部布都留物部經迹物部讃岐三野物部相槻物部筑紫聞物部播磨物部筑紫贄田部舩長同共卛領梶取等天降供奉舩長跡部首等祖天津羽原梶取阿刀造等祖大麻良舩子倭鍛師等祖津直浦笠紫曽々笠縫等祖天津赤麻良為奈部等祖天都赤星饒速日尊襄天神御祖詔乗天磐舩而天降坐於河内國河上哮峯則遷坐大倭國鳥見白山所謂乗天磐舩而翔行於大虚空巡睨是郷而天降坐矣即謂虚空見日本國是歟饒速日尊使娶長髓彦妹御炊屋姬爲妃令妊胎矣未及産時饒速日尊既神損去坐而不覆上天之時矣高皇産靈尊詔速飄神曰吾神御子饒速日尊所使於葦原中國而有疑恠思耶故汝能降可覆白矣于時速飄神命奉勑降來當見神損去坐則反上覆命云神御子者既神損去亡坐矣高皇産靈尊以爲哀泣則使速飄命以命將上於天上處其神屍骸日七夜七以爲遊樂哀泣斂於天上」、【また、五部の人が従って天から降り、仕えた。(人名略)我が(?五)部や造が統領として、天の物部を率いて天から降って仕えた。天の物部ら二十五部の人が、同じく武器を帯びて天から降り、仕えた。(人名略)饒速日は、天の神祖の命令で、天の磐船にのり、河内国の河上の哮の峯に天から降った。それで、大倭国の鳥見の白山に遷った。天の磐船に乗り、大虚空をかけめぐり、この地を観察して天から降った。それで、『虚空見つ日本の国』と言うのは、これだ。饒速日は長髓彦の妹の御炊屋姫を妃とし、御炊屋姫は妊娠して子が生まれないうちに、饒速日は崩じ、復命が無いうちに、高皇産霊は速飄に「私の神子の饒速日を、葦原の中国に派遣したが疑わしいから、お前は天から降って報告しろ」と命令した。速飄は勅命で天から降り、饒速日が見るとすでに崩じていた。それで、天にのぼって「神子は、すでに崩じていた」と復命した。高皇産霊はあわれと思われて、速飄に、饒速日の亡骸を天にのぼらせ、七日七夜葬儀の儀礼をして、悲しみ葬った。】と訳し、『日本書記』や『古事記』の天稚彦の説話を流用している。

すなわち、『日本書紀』は天が『山海經』の黄海である海内さらにそれが拡張されて玄界灘や日本海南部や瀬戸内海である海中の六合、そして宋代になると大荒東・南も含まれた大海中となり、神の概念は天が海中の六合まで拡張されて神霊が生まれる所の神の「うみ」から、『山海經』の天と呼ばれる山の水源を基に、日本でも水源にいる神を川上の「かみ」と呼び、鳥見の白山も「あま」と呼び、海の天と切り分けるため漢字の虚空を当て嵌めたと考えられる。

そして、その海の神の乗り物が船で浸水しないように土を塗った船が磐船で、山の虚空(あま)での乗り物も船と呼び、土を塗った磐船をここで述べ、水源地を求めて、海の天の地の速日から移住した。

『日本書紀』にもこの説話が有るが、「十有二月癸巳朔丙申皇師遂撃長髄彦」の朔の日干支が2日の日干支で天文学と合致せず、九州の記録に神話を結合させたと考えられ、物部氏が最初に出現するのが孝元天皇の皇后の欝色謎で、この記事は日干支が天文学と合致し、孝霊天皇末期に天降ったと考えられる。

いつの時代まで、大和盆地がどれだけ湿地帯だったか証明できないが、大和盆地が水源で、天と呼べる地域であった事は事実で、紀元前100年頃の崇神朝に長髓彦が死んだと考えられ、それ以前まで天と呼べる水源であった可能性が有り、淀川の上流の琵琶湖も天と呼ばれ、凡河内直の祖の近淡海にいる神の御陰が天之御影・天御陰と天の住人で饒速日と共に天降ったのだから、饒速日も近淡海から天降ったと考えられる


以降、第九段11に記述した。

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