2021年11月15日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第十段6

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・故随教小行備如其言即登其香木以坐尓海神之女豊玉毗賣之從婢持玉器將酌水之時於井有光仰見者有麗壮夫以爲甚異奇尓火遠理命見其婢乞欲得水婢乃酌水入玉器貢進尓不飲水解御頚之璵含口唾入其玉器於是其璵著器婢不得離璵故璵任著以進豊玉毘賣命尓見其璵問婢曰若人有門外哉荅曰有人坐我井上香木之上甚麗壮夫也益我王而甚貴故其人乞水故奉水者不飲水唾入此璵是不得離故任入將來而獻尓豊玉毘賣命思奇出見乃感目合而其父白吾門有麗人尓海神自出見云此人者天津日高之御子虚空津日高矣即於内率入而美智皮之疊敷八重亦絁疊八重敷具上坐具上而具百取机代物爲御饗即令婚其女豊玉毗賣故至三年住其國於・・・」、【それで、教え通りに少し行くと、言われた通りのようで、香木に登っていた。そこに海神の娘の、豐玉毘賣の従者が、玉の器で水を酌もうとした時に、井戸が光った。上を見たら、立派な強者が居たのでとても奇異に思った。そこで火遠がその使用人を見て、水が欲しいと思って求めた。使用人は水を酌んで、玉の器に入れて差し出した。飮まないで、頚の宝玉を外して口に含んで、玉の器に吐き入れた。そこでその宝玉を、器に入れて、使用人が宝玉を放さなかった。それで、宝玉を入れたまま、豐玉毘賣に差し出した。そこでその宝玉を見て、使用人に「もしかしたら、門外に人がいるのか。」と聞くと、答へて「人がいて、井戸の上の香木の上座っていた。とてもりっぱな強者だ。我が王よりもとても気品が有る。それで、その人が水を求めたので、水を差しだすと、水を飲まず、此の宝玉を吐き入れた。それで放さなかった。それで、入れたまま持って来て差し出した。」と答えた。ここで豐玉毘賣、奇異に思って、出で見ると、見染めて見つめ合い父に「門に立派な人がいる。」と言った。それで、海神が、自ら出て見ると、「この人は、天津日高の子の虚空津日高だ。」と言って、中に引き入れて、アシカの皮の畳を八つに重ねて敷き、太絹の畳を八つに重ねて敷き、その上に座らせて、お膳と食べ物を具えて、饗応して、その娘の豐玉毘賣と結婚させた。それで、三年経つ間その国に住んだ。】と訳した。

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・天孫從鰐(?)言留居相待已八日矣久之方有一尋鰐來因乘而入海之時自然有可伶小汀御坂故毎遵前鰐之教尋路而自進忽至海神宮其宮也城舍宗華樓臺玲瓏門前有一井井一才湯津杜樹枝葉枎跣火芹尊就樹下跳昇其樹而彷徨良久乃有一美人井底笑顏容貌絕世是海神女豐玉姬侍者群從白内而出皆以玉壺汲井水井中見人影在於水底不得酌取因舉目仰見天孫乃驚排闥還入白其父王曰吾謂我王獨能絕麗吾貴希客者有門前井邊樹下其骨法非常遠勝海神若從天降者當有天垢從地來者當有地垢實是妙美之虛空彦者欤爰豐玉彦遣人問曰客是誰者何以至此矣天孫對曰吾天神之孫也乃遂言來之時海神聞之曰試以察之乃設三床鋪設以八重席薦海神迎拜延入之時天孫於邊床則拭其兩足於中床則拭兩手於内床則坐定於真床覆衾之上海神之乃知天神之孫益加崇敬慇懃奉慰兼設備百机以盡主人之礼從容問曰天神之孫何以辱臨乎須吾兒來語察天孫對以情之委曲海神乃起憐心盡國召鱗廣鱗狹而問之皆謂不知但口女有口疾即急召至探其口者所失之釣立得實矣其口女者即鰡魚矣亦云赤女召鯛也海神制云你口女從今以後不得吞餌後不得預天孫之饌則以口女魚(?)以不進供御者此其緣也于時海神以女子豐玉姬妻之遂纏綿篤愛留住海宮已經三年雖覆・・・」と、『古事記』とほゞ変わらない。

ここでは、親子の名前が注目点で、父の豊玉彦で子が豊玉姫、すなわち、共に役職名で豊国の玉という地位か地域の王、我が王に報告しているのだから、玉彦は王で、豊玉姫は豊国の女王、妹の玉依姫は玉の分家の女王と言うことになる。

すなわち、名前は親子で相続されて、玉という地域に居る限り、王や女王で有る限り、名前は変わらない事が示されている。

ところが、天孫は天津日高が父で子が虚空津日高で「日高」がどの程度の地位なのかどうかは解らないが、住んでいた場所が、瓊々杵は天で火々出見は天から降ったので、虚空という所の「日高」という地位の人物だと理解される。

そして、『日本書紀』も、『古事記』や『舊事本記』の記述時代になると天を虚空と記述し海士の意味から天上の意味に変化しており、中国でも、「天」と呼ばれる地域は、黄海などとともに天山山脈などの水源の山を天と呼んでいて、日本では海から山に移った海士を「虚空」(空に近い)と呼んだと考えられる。

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