2021年11月17日水曜日

終兵器の目  『日本書紀』一書 第十段7

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・是火袁理命思其初事而大一歎故豊玉毗賣命聞其歎以白其父言三年雖任恒無歎今夜爲大一歎若有何由故其父大神問其聟夫曰今旦聞我女之語云三年雖坐恒無歎今夜爲大歎若有由哉亦到此間之由奈何尓語其大神備如其兄罰失鈎之状是以海神悉召集海之大小魚問曰若有取此鈎魚乎故諸魚白之頃者赤海鯽魚於喉鯁物不得食愁言故必是取於是探赤海鯽魚之喉者有鈎即取出而清洗奉火遠理命之時其綿津見大神誨曰之以此鈎給其兄時言状者此鈎者游煩鈎須々鈎貧鈎宇流鈎云而於後手賜然而其兄作高田者汝命營下田其兄作下田者汝命營高田爲然者吾掌水故三年之間必其兄貧窮若恨怨其爲然之事而攻戰者出塩盈珠而溺若其愁請者出塩乾珠而活如此令惚苦云授塩盈珠塩乾珠并兩箇即悉召集和迩魚問曰今天津日高之御子靈空津日高爲將出幸上國誰者幾日送奉而覆奏故各随己身之尋長限日而白之中一尋和迩白僕者一日送即還來故尓告其一尋和迩然者汝送奉若度海中時無令惶畏即載其和迩之頚送出故如期一日之内送奉也其其和迩將返之時解所佩之劔小刀著其頸而返故其一尋和迩者於今謂佐比持神也是以備如海神之教言與其鈎故自尓今以後稍兪貧更起荒心迫來將攻之時出塩盈珠而今溺其愁請者出塩乾珠而救如此令惚苦之時稽白僕者自今以後爲汝命之昼夜守護人而仕奉故至今其溺時之種種之態不絶仕奉也於・・・」、【そこで火遠理は、事の起こりを思い出して、大きなため息をついた。それで、豐玉毘賣は、そのため息を聞いて、父に「三年住んだが、いつも嘆くことが無かったが、今夜大きなため息をついた。もしかした何か訳があるのだろうか。」と言った。それで、父の大神が、婿に「今朝娘が言うのには、『三年経ったが、今まで嘆くことが無かったが、今夜、なぜか大きなため息をついた。』と聞いた。なにかわけがあるのか。またここにきたわけは何か。」と聞いた。そこで大神に、詳しく兄の失くした鉤のため咎められたとおりに語った。それで海神は、全ての海の大小の魚を召び集めて、「もしかした鉤を取った魚は居るか。」と問いただした。それで、魚達が「この頃、赤鯛が、喉に刺さる小さな魚の骨が有って、物を獲って食えないと悩んでいると言った。それで、きっととったのだろう。」と言った。それで赤鯛の喉を探ったら、鉤が有った。それで取り出して、洗い濯いで、火遠理に渡した時に、綿津見の大神が「この鉤を、兄に渡す時に、『この鉤は、煩わしく思う鉤、待たされる鉤、貧しくなる鉤、はっきりしない鉤。』と言って、ふんぞり返って与えなさい。それで兄が、高い場所に田を作ったら、あなたは下で田をいとなめ。兄が、低い所に田を作ったら、お前は高い場所で田をいとなめ。そうすると、お前が水を司るから、三年もすれば、きっと兄は困窮するだろう。もしそうした事を恨んで攻撃してきたら、潮が満ちる珠を出して溺らせ、もし懇願してきた、潮が引く珠を出して救う、このようにじわじわと苦しめなさい。」と教えて、潮が満ちる珠、潮が引く珠を一緒に二箇を与えて、残らず和迩達を呼び集めて、「今、天津日高の子の虚空津日高が、第2位の国に行こうとしている。誰が幾日で送れるか返事を聞かせろ。」と問いかけた。それで、各自の船の大きさごと、所要日数を言ってくる中で、一尋和迩が「私は一日で送って、帰って来る。」と言った。それでその一尋和迩に、「それならお前が送れ。もし海中を渡る時は、気をつけてな。」と告げて、その和迩の頚の位置に乗せて、送り出した。それで、約束通り、一日で送った。その和迩を返す時、帯びた紐と小刀を解いて、頚につけて返した。それで、その一尋和迩は、今、佐比持の神という。それで海神の教へそのままに、鉤を返した。それで、それ以後、少しずつどんどん貧しくなって、さらに荒んで迫って来た。攻められた時は、潮が満ちる珠を出して溺らせ、救いを求めたら、潮が引く珠を出して救い、このようにじわじわと苦しめられた時に、考えて「私は今から以後は、お前を昼夜の守護になって仕える。」と言った。それで、その溺れた時の種々の状態を今になっても思い、絶えず仕へた。】と訳した。

『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・安樂猶有憶鄉之情故時覆大息豐玉姬聞之謂其父神白在貴客意望欲還上國悽然數歎益懷土之憂乎海神乃延天孫縱容謂曰今者天神之孫辱臨吾處中心欣慶何日忘矣若欲還鄉者吾當奉送海神乃奉授此釣教日以潮溢之瓊潮涸之瓊則副其釣而奉進之日皇孫雖隔八重之隈冀時覆相憶而勿棄置也因教曰以此釣還與汝兄時天孫則可謂言貧窮之本飢饉之始困若之根陰呼此釣當称汝生子八十連屬之貧釣滅釣癡駿釣踉䠙釣可以後手投棄與之勿以向授則三下唾矣覆汝兄涉海時吾必起迅風洪濤令其沒溺辛苦矣若兄發怨怒有賊害之心則出潮溢之瓊以漂溺若巳至危苦求愍者則出潮涸瓊救助如此逼惱自當臣伏矣覆兄入海釣時天孫宜在海濱以風招風招嘯也如此則吾起瀛風邊風以奔波溺惚之也覆教曰兄作高田者汝可作洿田兄作洿田者汝可作高田矣海神盡誠奉助如此海神召集鰐魚問之曰天神之孫今當還去你等幾日之内則奉以致時諸鰐魚各隨其長短定其日數中有一尋鰐自言一日之内則當致焉故即遣一尋鰐魚矣以奉送焉天孫歸來依海神教先以其釣與兄兄怒不受故弟出潮溢瓊則潮大溢而漬足時則為足占致膝時則舉足至股時走迴至腰時則捫腰至腋則置手於胸至頸則舉手瓢掌請之曰吾當事汝為奴僕願垂救活矣弟尊出潮涸瓊則潮自涸而兄還平覆矣兄命釣之日弟尊居濱而嘯之時迅風急起兄(重複・・・>)則溺苦無由可生使遥請弟尊曰汝久居海原必有善術願以赦之若活我者吾生兒八十連(?属 暑)不離汝之垣邊當為俳優之民矣弟嘯已停風亦還息故兄知弟德欲自伏辜而弟尊有慍色不與共言爰兄著犢鼻以赭塗諸掌而告其弟尊曰吾污身如此未為汝俳優者乃舉足蹈行學其溺苦之狀兄命曰以襤(?樓:示編)而戻之日吾巳貧矣乃歸伏於弟之時出潮溢瓊則兄命舉手弱之因還出潮涸瓊則然而平覆矣兄命改前日吾是汝兄矣如何為人兄而事弟耶弟尊時出潮溢瓊兄見之走登高山則潮亦沒山兄命緣高樹則潮上沒樹兄命既窮途無(?)逃去乃伏罪曰吾已過矣從今已後吾子孫八十連屬恆當爲汝俳人亦爲狗人請哀之(<・・・重複)弟尊還出潮涸瓊則潮自息於是兄知弟尊有神德遂從伏事其弟尊是以兄命苗裔諸隼人等至今不離天皇宮牆之傍伏吠狗而奉事者矣世人不責失針此其緣也】とあり、概ね同じで、上国に帰ると述べているが、上国は最上位の天の王の天子の国の直近の国でまさに天孫の国はそれに当たり、天孫の国王の天津日高の子が『古事記』は火袁理、『舊事本記』は火々出見で兄の其々火照・火酢芹から王位を奪った事が記述されている。

天津日高は火瓊瓊杵の職名で隠岐の焼火山の出身と考えられ、穂の国に天から降っているのだから、火々出見は穂火出見、すなわち、穂の火出身の神のことで、後代に「ほ」を穂と火に当て嵌めたと考えるべきだろう。

和迩は曲浦、豊玉彦は瀬戸内海西部で丈夫国、三身国の1国で、大人国・大国は『出雲風土記』に三身の綱によって国を統一し、それは大人国と越・君子国と朝鮮半島と八国で、その杭はそれら以外の国で、冠帶で武器を使わない、帶劍でない国、隠岐島後と思われる「周饒國」の可能性が高い。

すなわち、火照・火酢芹は穂照・穂酢芹で元々、隠岐の上国の王だった海士で、侵略して穂国の山の中に移住した出張所の役人で天津彦から虚空津彦と職名で呼ばれた火袁理・火芹が豊玉国王の援助で穂国を奪って、元の穂王達を「いぬ」と呼び、後代、史書を記述する時に、『三国志』・『後漢書』を読んで「狗奴國」の王が旧穂王だったので「いぬ」を「狗」と記述したと考えられる。

すなわち、後漢時代に大倭王の稚足彦の配下の豊国穴門の王が協力して「狗奴國」の熊襲を豊後方面に追い出した「岡縣主の祖の熊鰐」の神話や熊襲征伐した倭建・諸縣君牛諸井達の神話が使われ、日向国から進撃した神武天皇の葛城襲津彦すなわち(日向・熊)襲の王の母親達の神話を記述していると考えられる。

『舊事本紀』にとっての火明は饒速日で火照は後から侵略してきた人物だと主張している。

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