2021年11月3日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第十段1

  日本書紀慶長版は「兄の火闌降が海幸・弟の彦火火出見が山幸が道具の交換し兄の鉤を失くしたので海神の宮に行き三年経って豐玉姫に子が出来、鉤と呪いの瓊を持って帰って、兄を呪いの瓊で従わせ彦波瀲武草葺不合が生まれ、彦火火出見は死んで日向の高屋山に葬られた」とある。 

そして、『日本書紀』慶長版一書は一書()一書曰兄火酢芹命能得海幸弟彥火火出見尊能得山幸時兄弟欲弖()易其幸故兄持弟之幸弓入山覓獸終不見獸之乾迹弟持兄之幸釣入海釣魚殊無所獲遂失其釣是時兄還弟弓矢而責己釣弟患之乃以所帶横刀作釣盛一箕與兄兄不受曰猶欲得吾之幸釣於是彥火火出見尊不知所求但有憂吟乃行至海邊彷徨嗟嘆時有一長老忽然而至自稱鹽土老翁乃問之曰君是誰者何故患於此處乎彥火火出見尊具言其事老翁即取嚢中玄櫛投地則化成五百箇竹林因取其竹作大目麁籠內火火出見尊於籠中投之于海一云以無目堅間爲浮木以細繩繋著火火出見尊而沉之所謂堅間是今之竹籠也于時海底自有可怜小汀乃尋汀而進忽到海神豊玉彥之宮其宮也城闕崇華樓臺壯麗門外有井井傍有杜樹乃就樹下立之良久有一美人容貌絶世侍者群從自內而出将以玉壼汲玉水仰見火火出見尊便以驚還而白其父神曰門前井邊樹下有一貴客骨法非常若從天降者當有天垢從地来者當有地垢實是妙美之虛空彥者歟一云豊玉姫之侍者以玉瓶汲水終不能滿俯視井中則倒映人咲之顏因以仰觀有一麗神倚於杜樹故還入白其王於是豊玉彥遣人問曰客是誰者何以至此火火出見尊對曰吾是天神之孫也乃遂言来意時海神迎拜延入慇懃奉慰因以女豊玉姫妻之故留住海宮已經三載是後火火出見尊數有歎息豊玉姫問曰天孫豈欲還故鄕歟對曰然豊玉姫即白父神曰在此貴客意望欲還上國海神於是總集海魚覓問其釣有一魚對曰赤女久有口疾或云赤鯛疑是之呑乎故即召赤女見其口者釣猶在口便得之乃以授彥火火出見尊因教之曰以釣與汝兄時則可詛言貧窮之本飢饉之始困苦之根而後與之又汝兄渉海()吾必起迅風洪濤令其沒溺辛苦矣於是乗火火出見尊於大鰐以送致本鄕先是且別時豊玉姫從容語曰妾已有身矣當以風濤壯日出到海邊請爲我造産屋以待之是後豊玉姫果如其言来至謂火火出見尊曰妾今夜當産請勿臨之火火出見尊不聽猶以櫛燃火視之時豊玉姫化爲八尋大熊鰐匍匐逶虵遂以見辱爲恨則俓歸海鄕留其女弟玉依姫持養兒焉所以兒名稱彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊者以彼海濱産屋全用鸕鷀羽爲草葺之而甍未合時兒即生焉故因以名焉上國此云羽播豆矩伱」、【一書に、兄の火酢芹は、上手に海の幸を得る。弟の彦火火出見は、上手に山の幸を得る。ある時に兄弟が、互いに獲物を交換しようと思った。それで、兄は、弟の狩猟の弓を持って、山に入って獣を探し求めた。それでとうとう獣の痕跡すら見つからなかった。弟は、兄の漁の鉤を持って、海に出かけて魚を釣った。是と言って得られなかった。とうとうその鉤を失った。この時、兄は、弟の弓矢を返して、自分の鉤を求めて責めた。弟は悩んで、帯びていた横刀で鉤を作って、一手の箕に盛って兄に渡した。兄は受け取らずに、「それでも、もとの鉤が欲しい」と言った。そして、彦火火出見は、兄が求める鉤の在処が解らないのでただ辛い溜息をつくだけだった。それで海辺に行って、ふらふらと嘆いていた。その時、一人の長老がいて、急に来て、自ら鹽土の老翁と名乗った。それで「あなたは誰だ。どうして此処で悩んでいる」と問いかけた。彦火火出見は、詳しく事の次第を言った。おきなは、それで袋の中の赤黒い櫛を取って地面に投げつけたら、五百箇の竹林に成った。それでその竹を取って、編目が大きい篭を作って、火火出見を篭の中に入れて、海に投入した。あるいは、編目が見えない程の筐を浮木にして、細繩で火火出見を結び付けて沈めた。所謂、堅間とは今の竹の篭という。その時、海の小さな渚から渚を求めて進んで海神の豐玉彦の宮に着いた。その宮は城門は高くて華やいでいて、テラスは壮観だった。門の外に井戸が有った。井戸の横に杜の樹が有った。それで樹の下で立っていると一人の美人を見かけた。絶世の美女だった。付き人をたくさん引き連れて、中から出てきた。丁度、玉の壼で水を汲んで、火火出見を見上げた。それに驚いて帰り、その父に「門の前の井戸の側の樹の下に、一人の高貴な客がいた。礼儀作法が常人でない。天から降った天神の容貌で、土地の者なら土神の容貌だ。本当に美しい。虚空彦という者か」と言った。あるいは、豐玉姫の付き人は、玉の容器で水を汲んだ。いつまでたっても一杯にならなかった。井戸の中を覗き見ると、反対から人の笑顔が映り、それで、見上げたら、一柱の立派な神がいて、杜の樹によりかかっていたので、門の中に帰って、その王に言ったそうだ。それで、豐玉彦は、人をやって「客は誰だ。どうしてここに来た」と問いかけた。火火出見が「私は天神の孫だ」と答え、来た理由を言った。その時に海神は頭を下げて迎え入れ、丁重に労って、娘の豐玉姫を妻にした。それで、海の宮に留り住んで、三年も経ってしまった。この後に、火火出見は、何度もため息をついた。豐玉姫が「天孫、故郷に帰りたいのか」と問いかけた。「そうだ」と答えた。豐玉姫が、父に「此処に居る賓客は、都に帰りたいそうだ」と言った。海神は、ここに、海の魚を全て集めて、その鉤を探した。一匹の魚が、「鯛が長い間、口を痛めている。あるいは、赤い鯛と言う。きっとこれが呑んだだろう」と答えた。それで、鯛を呼んで、その口を見たら、鉤が、まだ口に有った。それでこれを取って、彦火火出見に授けた。それで「鉤を兄に渡すとき『貧困の原因、飢える始まり、困窮の根本』とのろった後で渡すと、兄が、海を歩く時に、きっと、疾風が吹き大波が立ち、溺れ苦しむ」と教えた。それで、火火出見を大鰐にのせて、故郷に送った。これより前に、別れようとする時に、豐玉姫が、落ち着いて「私は妊娠している。風や波が静かな日に、海辺に出ていく。お願いです。私の為に産屋を造って待っていてほしい」と言った。この後、豐玉姫は、言ったとおりに遣ってきた。火火出見に「私は、今夜産みます。お願いだから見ないでほしい」と言った。火火出見は、聞かないで櫛に火を灯して見た。その時、豐玉姫は、八の1尋の大熊鰐になって、腹ばいにのたくっていた。とうとう辱められたことを恨んで、海の故郷に帰った。妹の玉依姫を留めて、子を養わせた。子の名を彦波瀲武鸕鷀草葺不合と言うのは、その海辺の産屋に、全て鸕鷀の羽を用いて葺き、瓦で閉める前に、子が生れたので、名付けられた。上國を「うはつくに」と言う。】と訳した。

『日本書紀』は「おぢ」を「老翁」と表記しているが、『伊未自由来記』の最初に隠岐へ遣って来たのが「木の葉比等」で後に「木の葉爺」と呼ばれたとしていて、「じ・ぢ」が前にも述べたように「連」・「葦牙彦舅」の「じ・ぢ」と同じことを示し、おそらく「ち」神・氏神を表していると思われる。

すなわち、「木の葉爺」は「木の葉神」・「老翁」は「お神」を表し、平郡王朝が、この神を長老として表意文字にしたと考えられ、隠岐の神話が前提にあり、老人のような風体の「木の葉比等」が住んだところが「焚火山」すなわち焼火山で、「焚火山」の王誕生説話と考えられる火火出見説話と考えられる。

そして、本文では豐玉姫が「豐玉姫方産化爲龍」と龍に化けるがこの一書(1)は龍ではなく熊鰐で『山海經』の『海外南經』に隠岐の島後を示す「周饒國」の近辺の「狄山」に「乘兩龍」が、さらに、『海外西經』にも「三身國」の南に「夏后啟于此儛九代乘兩龍」と、おそらく、龍は船と考えられ、本文の龍は『山海經』によく合致するが、一書(1)には合致しない。

しかし、宗像の近辺の「曲浦」が舞台であれば説話に合致し、「曲浦」が豐玉姫の住んでいた場所なので、仲哀天皇が筑紫に行くときに出迎えた「岡縣主祖熊鰐」と豐玉姫が化けた大熊鰐はピタリと合致し、八尋大熊鰐は八国様式の1.8m程度の敷布や船型の寝台を表現したのではないかと思われる。

この1書は「天」を「虚空」と理解した時代、『三国志』を知った頃の神話と解り、「岡縣主祖熊鰐」の説話を理解した上の神話と考えられる。

0 件のコメント:

コメントを投稿