2020年10月9日金曜日

最終兵器の目 孝徳天皇 大化2

 今回は大化の改新期間で長文なので、検証を先に記述する。

大化は695年からと述べたが、『日本書紀』には645年に当てはめていて、この記事が本当に645年にあったことか695年にあったのか、それとも違う時期だったのかを検証しなければならない。

登場人物の最初が新しい王朝の始まりを述べた蘇我倉山田麻呂で大化5年「皇太子妃蘇我造媛聞父大臣爲鹽所斬」と649年に殺害され、阿倍倉梯萬侶は舒明天皇前紀「獨欲定嗣位顧畏群臣不從則與阿倍麻呂臣議」と推古天皇崩御時に既に中心的立場にいて、天智天皇七年「蘇我山田石川麻呂大臣女曰遠智娘・・・阿倍倉梯麻呂大臣女曰橘娘」と蘇我倉山田麻呂と同じで天智天皇の妃に娘がなっている。

しかし、推古死亡の飛鳥天皇即位時に活躍した人物と同世代の娘が天智天皇妃は奇妙で、孝徳天皇妃が「妃阿倍倉梯麻呂大臣女曰小足媛生有間皇子次妃蘇我山田石川麻呂大臣女曰乳娘」と孝徳天皇の妃と類似している。

すなわち、20歳以上の孝徳天皇の子が13歳に達していなかったから天智天皇が皇太子になり、20歳に達していないので天皇になれない天智天皇の妃が孝徳天皇と類似するのだから、同年代で、天智天皇は668年まで天皇になれなかったのだから、人間関係において、大化元年は664年である。

そして、福亮と惠雲と常安と靈雲と惠至と僧旻と道登と惠隣と惠妙を検証すると、650年白雉元年道登法師曰昔高麗欲營伽藍」、639年舒明天皇十一年大唐學問僧惠隱惠雲從新羅送使入京」、特に僧旻は632年舒明天皇四年是時學問僧靈雲僧旻及勝鳥養」、637年舒明天皇九年僧旻僧曰非流星是天狗也」、649年大化五年詔博士高向玄理與釋僧旻」、650年白雉元年僧旻法師曰此謂休祥足爲希物」、653年白雉四年僧旻法師臥病於阿曇寺」と記述され、白雉五年「遣大唐押使大錦上高向史玄理」と同列の高向史玄理が僧旻死後も記述され、唐使来日は『新唐書』の「永徽初」めで650~652年で、650年頃の記事だ。

そして、『船王後墓誌』に「阿須迦宮治天下天皇之朝天皇照見知其才異仕有功勲勅賜官位大仁品為第三」と641年には冠位12階が645年には「三輪色夫君」に冠位がないが、649年には大化五年遣小華下三輪君色夫」と冠位19階の冠位を得、647年には大化三年大山位倭漢直荒田井比羅夫誤穿溝涜控引難波」と冠位19階の冠位を得て、『小野毛人墓誌』に「大卿位大錦上小野毛人朝臣之墓営造歳次丁丑年」と677年に冠位26階だ。

すなわち、冠位13階と19階は王朝が異なることを意味し、大化年間は複数の年代の事件が記述されていることが解る。

『日本書紀』慶長版は

戊寅天皇詔阿倍倉梯萬侶大臣蘇我石川萬侶大臣曰當遵上古聖王之跡而治天下復當有信可治天下己卯天皇詔阿倍倉梯麻呂大臣蘇我石川萬侶大臣曰可歷問大夫與百伴造等以悅使民之路庚辰蘇我石川麻呂大臣奏曰先以祭鎮神祗然後應議政事是日遣倭漢直比羅夫於尾張國忌部首子麻呂於美濃國課供神之幣八月丙申朔庚子拜東國等國司仍詔國司等曰隨天神之所奉寄方今始將修万國凢國家所有公民大小所領人衆汝等之任皆作戸籍及校田畝其薗池水陸之利與百姓倶又國司等在國不得判罪不得取他貨賂令致民於貧苦上京之時不得多從百姓於己唯得使從國造郡領伹以公事往來之時得騎部內之馬得飡部內之飯介以上奉法必湏褒賞違法當降爵位判官以下取他貨賂二倍徴之遂以輕重科罪其長官從者九人次官從者七人主典從者五人若違限外將者主與所從之人並當科罪若有求名之人元非國造伴造縣稻置而輙詐訴言自我祖時領此官家治是郡縣汝等國司不得隨詐便牒於朝審得實狀而後可申又於閑曠之所起造兵庫收聚國郡刀甲弓矢邊國近與蝦夷接境處者可盡數集其兵而猶假本主其於倭國六縣被遣使者宜造戸籍幷挍田畝汝等國司可明聽退即賜帛布各有差是日設鍾匱於朝詔曰若憂訴之人有伴造者其伴造先勘當而奏有尊長者其尊長先勘當而奏若其伴造尊長不審所訴收牒納匱以其罪々之其收牒者昧旦執牒奏於內裏朕題年月便示群卿或懈怠不理或阿黨有曲訴者可以撞鍾由是懸鍾置匱於朝天下之民咸知朕意又男女之法者良男良女共所生子配其父若良男娶婢所生子配其母若良女嫁奴所生子配其父若兩家奴婢所生子配其母若寺家仕丁之子者如良人法若別入奴婢者如奴婢法今剋見人爲制之始癸卯遣使於大寺喚聚僧尼而詔曰於磯城嶋宮御宇天皇十三年中百濟明王奉傳佛法於我大倭是時群臣倶不欲傳而蘇我稻目宿祢獨信其法天皇乃詔稻目宿祢使奉其法於譯語田宮御宇天皇之世蘇我馬子宿祢追遵考父之風猶重能仁世之教而餘臣不信此典幾亡天皇詔馬子宿祢而使奉其法於小墾田宮御宇之世馬子宿祢奉爲天皇造丈六繡像丈六銅像顯揚佛教恭敬僧尼朕更復思崇正教光啓大猷故以沙門狛大法師福亮惠雲常安靈雲惠至僧旻道登惠隣而爲十師別以惠妙法師爲百濟寺々主此十師等宜能教導衆僧修行釋教要使如法凢自天皇至于伴造所造之寺不能營者朕皆助作今拜寺司等與寺主巡行諸寺驗僧尼奴婢田畝之實而盡顯奏即以來目臣三輪色夫君額田部連甥爲法頭

戊寅の日に、天皇は、阿倍の倉梯萬侶の大臣と蘇我の石川の萬侶の大臣に「古い時代の立派な王の足跡のを見習って、天下を治めなければならない。また信念を持って天下を治めなければならない。」と詔勅した。己卯の日に、天皇は、阿倍の倉梯麻呂の大臣と蘇我の石川の萬侶の大臣に「並んだ高官と百人の伴造達に、人々が悦んで使われる方法を問いかけなさい」と詔勅した。庚辰の日に、蘇我の石川の麻呂の大臣が、「まず神祇を祭って鎮めて、そのあとで政策を考えるべきだ」と奏上した。この日に、倭の漢の直の比羅夫を尾張国に、忌部の首の子麻呂を美濃国に派遣して、神に供えるをわりあてた。八月の朔が丙申の庚子の日に、東国達の国司を呼んだ。それで国司達に「天神に寄進するように、今からはじめて萬国を統治する。だいたいが国家の所有する公民は、大国や小国を問わずに民衆をお前達に任せるから皆の戸籍を作り、田畑の年貢を考えなさい。囲った畑や池や海や土地からの利益は百姓と分け合いなさい。また、国司達は国に居て罪に手心を加えてはいけないし、人から賄賂を取って民の生活を苦しめてはならない。都に上る時は、たくさんの百姓を一緒に連れてきてはならない。ただ国造と郡領だけ連れてきても良い。特別に、公の事情で行き来する時は、支配地の馬に乗っても良く、支配地の食糧を食べても良い。国司の補佐より上は、適法だったら、必ず褒賞しなさい。法に違反したら、爵位を降ろせ。三位以下は、他人から賄賂を取ったら、その二倍を徴収する。罪の軽重で判断して罰する。長官の従者は九人。次官の従者は七人。主典の従者は五人。もし限度を超えて率いた者は、主従共に罪を課す。もし地位を求める人がいて、昔から国造や伴造や縣の稻置でもないのに、簡単に偽って『私の先祖から、この官家を領有し、この郡縣を治めた』と訴えても、お前達国司は、詐称どおり簡単に朝廷請求してはならない。よく本当のことを調べてから請求しなさい。また、広々と何もないところに、武器庫を造って、国郡が刀や甲や弓や矢を集め收め、蝦夷と境を接している所に近い辺境の国は、残らず兵器を数え集めて元々の持ち主に貸し付けなさい。倭国の六縣に派遣された使者は、戸籍を造って、一緒に田畝を調べなさい。お前達国司は、よく解ったら帰ってよい」と詔勅した。それで絹布を其々差をつけて与えた。この日に、鍾と大きな箱を朝廷に置いて「もし苦しむ者が伴造に訴えたら、伴造は、まず良く調べて奏上しなさい。目上の人がいたら、目上の人が、まず良く調べて奏上しなさい。もし伴造や目上の人が、訴えを調べもしないで、訴状を大箱に投じたら、罪で罰する。その訴状を手にした者は、日の出前の暗いうちに訴状を手に内裏に奏上しなさい。私は年月を記録して、役人に見せる。あるいはなまけてさばかず、あるいはひいきしてねじまげたら、訴えた者が鍾を撞きなさい。そのために、朝廷に鍾を懸けて大箱を置いた。天下の民は残らず私の真意を知りなさい。また、男女夫婦間の法は、良男良女を両親に持った子は、その父につけなさい。もし良男の、婢を娶って生まれた子は、その母につけなさい。もし良女が、下僕に嫁いで生れた子は、その父につけなさい。もし両家の下僕や下女が生んだ子は、その母につけなさい。もし寺の雑役夫の子なら、良人の法のようにしなさい。もし雑役夫と違い下僕なら下僕の法と同じにしなさい。今から制度が始まったことを厳しく示しなさい」と詔勅した。癸卯の日に、使者を大寺に派遣して、僧尼を呼び集めて、「磯城嶋の宮に御宇天皇の十三年に、百済の明王が、佛法を我が大倭国に伝えてくれた。この時に、役人は、みんな伝えを求めなかった。それを蘇我の稻目の宿禰だけが、その法を信じた。天皇は、それで稻目の宿禰詔勅して、その法を信奉させた。譯語田の宮に御宇天皇の世に、蘇我の馬子の宿禰が、亡父の習慣をまねて尊重して、釈尊の教えを重んじた。それでも他の家臣は信じなかった。この経典はほとんど滅びようとした。天皇は、馬子の宿禰に詔勅して、その法を信奉させた。小墾田の宮に御宇天皇の世に、馬子の宿禰は、天皇の為に、丈六の刺繍の仏像と丈六の銅像を造り、佛教をはっきりと掲げて、僧尼を恭んで敬った。私は、さらにまた、正しい教えを崇め、大きな道義を明るく輝かせようと、沙門の狛の大法師福亮と惠雲と常安と靈雲と惠至と僧旻と道登と惠隣と惠妙を、十師にする。とくに惠妙法師を、百済寺の寺主にする。この十師達は、多くの僧達の修行にふさわしいように教え導いて、釈迦の教えが法となるようにしなさい。おおよそ天皇から伴造までが、造ろうとする寺が造れなかったら、私も皆も助け合って作ろう。今寺の役人達と寺主と集めなさい。諸々の寺を回って、僧尼や下男下女と田畝の収量を見て、残らず明確にして奏上しなさい」と詔勅そた。それで来目の臣と三輪の色夫の君と額田部の連の甥を、法頭にした。】とあり、標準陰暦と合致する。

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