今回は、憲法十七條で分量が多いので解説を先にする。
この太子が誰かを分析するのだが、キーワードは「三寶」で、推古天皇二年に「詔皇太子及大臣令興隆三寶是時諸臣連等各爲君親之恩競造佛舎」と「三寶」を取り入れた。
594年では伝統ある物部氏の秦王国が「三寶」を受け入れる可能性が低く、556年欽明天皇十五年の「立皇子渟中倉太珠敷尊爲皇太子」と記述される、俀国王の法興帝2年の592年にあたらう時期が俀国の「三寶」を取り入れた時期だ。
倭国では「三寶」を受け入れが欽明天皇十三年「宜付情願人稻目宿禰試令禮拜」、敏達天皇十四年「大臣奉詔禮拜石像乞延壽命」、用明天皇二年「朕思欲歸三寶卿等議之群臣入朝而議」がその可能性がある時期だが、『舊事本紀』には「澤中倉太珠敷尊者・・・天皇不信佛法而愛文史矣」、「諱橘豐日尊・・・天皇信佛法尊神道」と用明天皇からのみ佛法の記述がある。
そして、556年欽明天皇十三年は俀国王の出家で俀国王就任だから567年に出家して、敏達天皇十四年は用明2年にあたり、用明天皇は存在しないので、推古2年が倭国の佛法開始ということになり、欽明天皇十三年の内容には「三寶」が含まれず、敏達天皇の記事は稲目の記事と思われて敏達十四年は628年、用明二年と推古二年は630年のこととなる。
俀国の法興王のために造られた『法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘』に「随奉三主紹隆三寳遂共彼岸普遍六道法界含識得脱苦縁同趣菩提」と「三寶 」を貴んで王自らが出家して僧になるように、僧を重要視していることから、憲法十七條は俀国の憲法ということが解り、602年に憲法制定があったと思われる。
『舊事本紀』に「廾七年冬壬戌朔甲子制日夫不覔事君竭忠之臣者・・・課之道矣別而名之謂八義・・・謂孝悌忠仁礼義智信欤復天地日月星辰聖賢・・・八義冝制爵位其孝者天也紫冠爲一忠・・・自今巳後永為恒成」と『日本書紀』と異なる官位がある。
この廾七年冬壬戌朔は推古12年12月1日で17条憲法制定の年としている年で、この紫冠は皇極天皇二年「蘇我大臣蝦縁病不朝私授紫冠於子入鹿」と実際に与えられていて、推古11年の官位には色が記述されておらず、12月では『日本書紀』と合わないので、推古27に挿入したのである。
『舊事本紀』に「廾七年冬壬戌朔」は625年10月1日が候補で625年は馬子の妻秦王国御井夫人が天皇で、馬子は天皇と同等で皇太子は石上贄古の可能性が高く、そのため『日本書紀』に記述されず『舊事本紀』だけに記述され推古12年に合わないため飛鳥天皇の父の馬子が薨去する2年前だったので飛鳥天皇の崩御2年前、それで聖徳太子薨去の2年前となって推古27年に挿入されたと思われる。
すなわち、625年には畿内にも既に憲法の基本と官位があり、640に官位12階に変更した可能性があり、659年推古天皇三一年「即年以大徳境部臣雄摩侶小徳中臣連國爲大將軍以小徳河邊臣禰受小徳物部依網連乙等小徳波多臣廣庭小徳近江脚身臣飯葢小徳平群臣宇志小徳大伴連小徳大宅臣軍爲副將軍率數萬衆以征討新羅」と新羅討伐に行くのに官位12階が使用されている。
もちろん、理由をつけて新羅討伐を行わなかったのだから俀国の官名を持った人物の可能性が高いので、さらにまた、詳細に検討したい。
『日本書紀』慶長版は
「十二年春正月戊戌朔始賜冠位於諸臣各有差夏四月丙寅朔戊辰皇太子親肇作憲法十七條一曰以和爲貴無忤爲宗人皆有黨亦少達者是以或不順君父乍違于隣里然上和下睦諧於論事則事理自通何事不成二曰篤敬三寶三寶者佛法僧也則四生之終歸萬國之極宗何世何人非貴是法人鮮尤惡能教從之其不歸三寶何以直枉三曰承詔必謹君則天之臣則地之天覆地載四時順行方氣得通地欲覆天則致壞耳是以君言臣承上行下靡故承詔必慎不謹自敗四曰群卿百寮以禮爲本其治民之本要在乎禮上不禮而下非齊下無禮以必有罪是以群臣有禮位次不亂百姓有
禮國家自治五曰絶餮棄欲明辨訴訟其百姓之訟一日千事一日尚爾况乎累歲湏治訟者得利爲常見賄聽讞便有財之訟如石投水乏者之訴似水投石是以貧民則不知所由臣道亦於焉闕六曰懲惡勸善古之良典是以無匿人善見惡必匡其諂詐者則爲覆國家之利器爲絶人民之鋒剱亦侫媚者對上則好說下過逢下則誹謗上失其如此人皆无忠於君無仁於民是大亂之本也七曰人各有任掌冝不濫其賢哲任官頌音則起姧者有官禍亂則繁世少生知剋念作聖事無大少得人必治時無急緩遇賢自寛因此國家永久社稷勿危故古聖王爲官以求人不求官八曰群卿百寮早朝晏
退公事靡盬終日難盡是以遲朝不逮于急早退必事不盡九曰信是義本毎事有信其善惡成敗要在于信群臣共信何事不成群臣無信万事悉敗十曰絶忿棄?(瞋)不怒人違人皆有心心各有執彼是則我非我是則彼非我必非聖彼必非愚共是凢夫耳是非之理詎能可定相共賢愚如鐶无端是以彼人雖?(瞋)還恐我失我獨雖得從衆同舉十一曰明察功過賞罰必當日者賞不在功罰不在罸執事群卿冝明賞罸十二曰國司國造勿歛百姓國非二君民無兩主率土地民以王爲主所任官司皆是王臣何敢與公賦歛百姓十三曰諸任官者同知職掌或病或使有闕於事然得知之日和如曽識其以非與聞勿防公務十四曰群臣百寮無有嫉妬我既嫉人々亦嫉我嫉妬之患不知其極所以智勝於已則不悅才優於已則嫉妬是以五百之乃今遇賢千載以難待一聖其不得賢聖何以治國
十五曰背私向公是臣之道矣凢夫人有私必有恨有憾必非同非同則以私妨公憾起則違制害法故初章云上下和諧其亦是情歟十六曰使民以時古之良典故冬月有間以可使民從春至秋農桑之節不可使民其不農何食不桑何服十七曰夫事不可獨斷必與衆宜論少事是輕不可必衆唯逮論大事若疑有失故與衆相辨辭則得理秋九月改朝禮因以詔之曰凢出入宮門以兩手押地兩脚跪之越梱則立行是月始定黃書畫師山背畫師」
【十二年の春正月の戊戌が朔の日に、はじめて位冠を各々差をつけて諸臣に与えた。夏四月の朔が丙寅の戊辰の日に、皇太子は、自分の手ではじめて憲法の十七條を作った。第一に、争わないことを貴んで、逆らわないことを大事にしなさい。人は皆仲間がいるが道に熟達している人はそんなにいない。それで、ある人は君主や父親に従わなかったり、隣町との取り決めを破る。しかし、政府が争わず、民が仲良くして、物事を話し合って解り合えば道理は自然に通じ合い、出来ないことが無い。第二は、真心をこめて三宝を敬いなさい。三宝というのは、仏様と、仏様の教えと、その教えを奉じる僧のことだ。すなはち四生(母から生まれた動物と卵から生まれた鳥と水の中から生まれた魚と行いの良かった者から生まれた人間)の生き物が救い求めるところで、全ての国の一番大事なことだ。どの世のどの人もこの仏様の教えを貴ばない者はいない。人はよく教えに従えばだれも極悪にならない。三宝に依らなければ何でまがったものを直せるのか。第三は、
詔勅を聞いたら必ず謹んでききなさい。君主はすなわち天で臣は地だ。天は地に覆いかぶさり、地は天を担ぐ。朝・昼・夕・夜に従って行動しすれば、きっと運気を得る道が出来る。地が天に覆いかぶされば、すなわち、人々の声を聴け無くなってしまう。それだから、君主が言うことを臣が聞けば、お上が進めば人民はしたがう。それで、詔勅を聞いたら必ず謹んでききなさい。謹んで聞かなければ何もしなくても敗れ去ってしまう。第四に、官僚やすべての役人は、礼儀がとても大事だ。それが人民を治めるのに大事なことで、礼儀を持つことが最も大切だ。君主が無礼なら人民はきちんとしない。人民に礼儀が無ければ必ず罪を犯す。このため、役人が礼儀正しければ、位の順はみだれない。百姓に礼儀があれば、国家は何もしなくても治まる。第五に、あるものをすべて食べ尽くすようなことはせず、欲を棄てて、次の訴えには道理をはっきりとわきまえなさい。その百姓の訴えというのは、一日に千もあり一日でこうなのに、歳を重ねたらどれほどのものだろう。訴えを治めなければならない者が、いつも儲けようとして、賄賂を見てから裁こうとしていると聞く。それでは財産がある物の訴えは、石を水に投げるように勝利し。貧乏人の訴えは水を石にまいたら乾いてしまうように負ける。これでは貧しい人民はどうしたらよいのか。役人の行うべきことを行っていない。第六に、悪人を懲らしめて善行を奨励するのは、昔からの良いしきたりだ。これで善良な人は堂々と、悪人を見たら必ず正せ。お世辞を言ってだます者は、国家を転覆するよくきれる刃物で、人民を絶やす切っ先だ。また、こびへつらう者は、上位の者には耳障りの良いことを説いて、下位の者のその下位の過失を見たら上にその過失の悪口を言う。そのようにこれらの人は皆君主に忠義が無く、人民に対しては思いやりが無い。これも大きく世が乱れる原因だ。第七に、人は夫々やるべきことが有る。簡単にその道を外してはならない。それは賢明で道理をわきまえた人が官職を任されれば、功徳をほめる噂が鳴り響く。よこしまな者が官職に就けば、世の災いとなるような騒動が多発する。世の中には生まれながらに知恵を持つ者は少ない。心をこらすことで知徳にすぐれ、尊敬される。仕事の大小に関係なく、努力した人を得ることが出来ればきっと治まる。仕事が速いとか遅いは関係なく、賢者を処遇すれば自然にゆとりが出来る。これで国家が永久に続いて、危なくなることは無い。それで、昔の聖王は仕事の為に人を求め、人が官職を求めない。第八に、官吏や役人は、早く登朝して時刻が遅くなったら去りなさい。公務はとても大変だ。一日中仕事をしても終わることが無い。そこで、遅く登朝していては急用に間に合わず。早く去っていたらきっと仕事は終わらない。第九に、嘘をいわないことが正しい道の根本だ。どんな時でも嘘を言ってはならない。善悪も成功も失敗もいつも嘘を言わない信念の有り無しによる。役人共に嘘を言わない心があったら、どんなことでもできる。役人が嘘を言わない信念が無かったら、どんな仕事も失敗する。第十に、いきどおる心を絶って三毒の瞋恚を捨て去り、人の間違いをおこってはならない。人には皆心があり、その心は夫々こだわりがある。彼がすることは自分には合わない。自分がすることには彼が合わない。自分はいつも知徳にすぐれているわけではない。かれもきっと愚鈍ではない。どちらも凡人だ。この是非を誰が決められようか。どちらも賢く愚かなのは輪に端が無いのと同じだ。このように、ある人が怒りをあらわにしていたら、振り返って自分の間違いを恐れなさい。ただ自分のみが正しいと思っても、皆に従って同じようにしなさい。第十一に、功罪の真相を見抜いて、賞罰しなければならない。常日頃、功績が無くても賞を与え、罪も無いのに罰を与える。担当の官吏は賞ととがめをあきらかにしなさい。第十二に、国司や国造は、百姓をとりたててはならない。国に二人の君主はない。人民に二人の主はいない。国の果てまでの人民は、王を主とする。任地の役人は、皆、王の臣下だ。どうして公と二重に百姓から租税を取り立てるのだ。第十三に、夫々の官職に任用された者は、役目も同時に知っておかなければならない。病気や使者として仕事が出来ないことがある。しかし昔から解っているように物事の成り行きを知っていなさい。聞かなかったようにして、公務の邪魔をするな。第十四に、官吏や役人は、うらやみねたんではならない。自分がねたむ時は他人も自分をねたんでいる。うらやみねたむ苦しみは、ゆきつくところを知らない。自分に勝っていると悟って喜ばず才能が自分に勝っているとうらやみねたむ。これでは、五百年たって賢者に会っても、千年に一人の聖者を待っても賢聖を得ることが出来ない。どうやって国を治めればよいのか。第十五に、私事に背を向けて人のために生きることが臣下の行うべきことだ。凡人は自分の利益だけを考え必ずものたりなく思う。悔しがると、おなじ気持になれず、おなじ気持になれなかったら自分の利益だけを考えて人の邪魔をする。物足りないと決まりを破っておきてをそこなう。それではじめの章でいうお上も人民もやわらぎととのえなさいというのは、この心持だ。第十六に、人民をつかうには時季を考えるのが古くからの良いしきたりだ。だから、冬の月にハザマが有ったら、人民を使いなさい。春から秋までは、農耕や養蚕の季節だ。人民を使ってはならない。農耕をしないで何を食べればよいのだ。養蚕をしないで何を着ればよいのか。第十七に、自分一人の考えだけで物事を決めるな。かならず皆で話し合いなさい。小さなことは簡単で必ずしも皆と決めなくともよい。ただ、大事なことはよく話し合うことで、もしも失敗するかと思ったら皆と違いを見分けあうことで筋道を得られる。秋九月に、朝廷が行う儀式を変更した。それで「どんなときも朝廷の門を出入するときは、両手の平を地面につけて、両足の膝をついて、しきりを越えてから立ち上がっていきなさい」と詔勅した。この月に、はじめて黄書の彩色工房と山背の彩色工房を置いた。】とあり、四月丙寅朔は3月30日で3月が小の月なら標準陰暦と合致する。
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